
【『帝都物語』(2)】
『帝都物語』(1988)ではまず脚本が岸田理生から林海象に交代し、主演も交代。
北浦「寺山修司さんの座付き作家の岸田理生さんが最初はホンを書いていて、岸田さんのホンは面白かったです。ただEXE(エグゼ)から、ビジネスの観点でホンを直そうということで林さんが入って。対象(観客)を考えて作家を代えて、確かに話は判りやすくなりました。最初は小林薫さんが加藤役でキャスティングされたんですけど、ぼくが事務所で実相寺(実相寺昭雄)監督と服部(服部光則)さんと無駄話をしていたら、小林さんが突然現れて「このホンではぼくはできません」と。そこで下の喫茶店に監督とふたりで行かれて、帰ってきたときには「役者を代えるから」ということに(笑)。えっ、これからか?と。彼(嶋田久作)がいてよかった。
最初のゼロ号では4時間近くありましたけど切り刻んでいきました。編集の浦岡敬一さんは大島渚組で、監督に関係なくどんどん切る方で、それを見て監督がいい悪いと判断するっていうプロセス。見事に2時間ちょっとになりました。ホンよりも映像にこだわってつくった作品かなと。だから役者さんへの対応も違ったのかもしれませんね」
古林「ぼくは服部さんに聞いたんですけど『波の盆』(1983)のときに加藤治子さんが実相寺監督に演技のことを質問したかったそうです。監督は「カット割りはできてるから、加藤さんは好きにやってください」と。ほとんどの俳優さんがそうですけど、原田美枝子ちゃんは『帝都物語』が終わった後で「申しわけないけど監督とはもうやらない」って。お芝居を台本の通り、カット割りにやっていただければいいということで、俳優の演技プランを聞かない監督ではありました。寺田農さんみたいな実相寺組の方はよく判っていて、顔が半分しか映らないとか1ミリでも動くとNGが出るとか。そういうのに身を委ねられない俳優さんと仕事をするときは、実相寺監督は喋らない感じでした」
監督が画面を確認するビジコンが現場に導入された。
古林「実相寺監督は映像にものすごくこだわるからしょっちゅうレンズをのぞいたりして、カメラマンにはうるさいんだそうです。そこでビジコンという、離れたところで画角が判るという機械を導入して。大きな映画では『帝都物語』が初めてだったようです。それを見て監督が指示を出す。ビジコンをつけることで逆に監督を遠ざけて、カメラマンが自由にやるというのが『帝都』のスタイルだったようです」
油谷「ふと思い出したんですけど神田明神の前で撮りましたね。神聖な本殿の前で昼も夜もやって、玉三郎(坂東玉三郎)さんがいたのかな。神馬を走らせて、夜の撮影だからてかりがいいように水を撒いたら、馬が滑って転んじゃって血だらけになっちゃって。ぼくはチーフだったけど神田明神の神殿の前でまずいなと。すごいことがあったね。
実相寺さんはすごい読書家であらゆるジャンルの本を読まれて。建築と音楽に特に造詣が深くて、あとは風俗。片っ端から読まれて、余った本を送ってくるんですよ。ぼくは自分の興味ある本しか読まないけど、関係なしに送ってこられましたね(笑)。
『帝都物語』の後で『夢千代日記』(1981)などをやられた深町幸男さんからオファーが来たときに、ぼくはそれまでワンキャメの映画形式の作品しかやってなかった。深町さんはマルチで撮られる方でそういうのは厭だなと思ったんだけど、実相寺さんに相談に行った。実相寺さんは「深町幸男さんはすごい人だから1回はついておいたほうがいいよ。それで気に入らなきゃやめればいいんだから」って。それで『御宿かわせみ』(1988)をやらせていただいて、それで深町組に拉致されて1年後には監督にしていただいて。それも実相寺さんが言ってくれなかったら行ってなかったですね」
古林「深町組では服部さんが助監督についた『ロマンの果てII 汚れっちまった悲しみに』(1990)で実相寺監督が現場に来ちゃって「自分が助監督やるよ」って(笑)。監督が渋谷の現場に押しかけてきたことがありました」
油谷「そういうことを平気でやるんだよね。深町さんに紹介して挨拶はしたよね。さすがに助監督はしなかったけど(笑)」
高橋「専門学校でたまたま見たのが『波の盆』だったんですよ。いい作品だな。次の年(1987年)の「キネマ旬報」のフロントページに、その監督が『帝都物語』のスタッフルームを東宝に開設したって。誰かのつながりで呼ばれたんじゃなくて勝手に押しかけました。東宝の入り口に警備の人がいて入りにくかったですね。歩いて行ったら低い壁のところがあって、じゃあこっから入ろうと(一同笑)。スタッフルームを訪ねていったら、その日は土曜日で丹羽(丹羽邦夫)さんっていう制作主任しかいなくて。「監督たちはロケハン行ったりしてるからきょうはいないよ。月曜日に来たらいいよ」って言われて、月曜日に晴れて正面玄関から入って。結界が破れてたって言われました(一同笑)。
特撮が始まるのは8月からで、本編のクランクインは7月の半ばだったかな。特撮の前に本編の手伝いをさせてもらって、特撮が始まってから北浦さんのもとでいろいろ勉強しました。
実相寺監督は怖い顔で、スタッフルームの奥で新聞読んでて、丹羽さんが「やりたいって飛び込んできた高橋くんです」。監督は「お前、姉ちゃんいるのか」。「いません」。「じゃあ妹はいるのか」。「いないです」。「じゃあだめだ」って言われました(一同笑)。でも入れてもらえました」(つづく)

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