さまざまな映画監督の若き日を追った『デビュー作の風景 日本映画監督77人の青春』(DU BOOK)は優れたルポルタージュだが、その著者・野村正昭がかつて、仕事が厭になったなどと記していて何となく印象に残っていた。調べてみると2007年に季刊誌「映画芸術」に載った一文であった。
「二年位前に “映画評論家” の看板を掲げているのが、つくづくイヤになり、よほど義理のある媒体以外に原稿を書かなくなったのは、自宅に膨大な量のDVDを溜め込んで(06年現在、八千枚強)、これを見ているだけでも十分余生の暇潰しができるなあと思ったからだ。以前は面白い映画記事が巷に沢山あったが、おべんちゃら記事ばっかり書かされたり読まされたりするのは、もうイヤになった。キネ旬に連載されていた山田宏一氏の「シネ・ブラボー」を読んで育った者にとっては、今の世の中、屑のような映画記事ばっかり氾濫しているようにしか見えない。発売日に貪るように読んでいるのは、今は「映画秘宝」「シナリオ」と、これはお世辞ではなく「映画芸術」だけだ」(「映画芸術」418号)
野村は2000年代半ばに仕事を減らして、主に映画のソフトを見て暮らしていたらしい。「映画芸術」の同じ号にこうある。
「新作映画を見て、その映画をどう思ったかという判定は、筆者の場合、すぐ出る。そのDVDソフトが発売されて、買うのか、買わないのかというだけ。DVD購買の下見に、新作を見ているといった方がいいほどだ」
「同業者からときどき「メーカーからサンプル(引用者註:DVDのサンプル)を山のように貰っているんだろう」とイヤミまじりに言われたりするが、ふざけたことを言うな。殆どが自腹だぞ」
この時代は多様なDVDが続々と発売されていて、野村は例えばロシア・カナダ・チェコ・スイス・日本など各国のアートアニメーションに凝り、それらを蒐集して「ひたすら見ることに溺れた」という(「映画芸術」420号)。第三者にしてみれば羨望を感じてしまう生活である。
野村はこの数年前にも愚痴っていた。
「僕は70年代の「キネマ旬報」に連載されていた山田宏一「シネ・ブラボー」や、石上三登志「ぼくは駅馬車に乗った」、竹中労「日本映画縦断」、渡辺武信「日活アクションの華麗な世界」などを貪り読んで影響を受け、それらの文章に登場した映画を一本でも多く見たい(当時はDVDどころかビデオも普及していなかった)と思っているうちに、いつのまにか映画評論家になってしまった人間だから、こちらを触発してくれるような刺激的な連載の存在がないと、なかなかエンジンがかからない。新作映画の提灯持ちのようなレビューやインタビューなんか、読むのも書くのもウンザリだ」(「月刊シナリオ」2003年6月号)
2000年代の彼はどうも仕事に倦んでいたとおぼしい。また近い時期に母親が亡くなっていて、その際に「自分のできる限りのことは全てやった」と述べる(「月刊シナリオ」2002年11月号)。母の死もあって、積極的に働く気にならなかったとも考えられる。
しかしDVDは「殆どが自腹」で、そして無料である試写の「三倍以上は劇場に通って見ている」そうで(「映画芸術」418号)、どうやって収入を得ていたのかが気になった。
筆者は別に野村のことに詳しいわけでもなく、偶然目に留まったに過ぎないのだけれども、それから月日は流れ、最近の彼は「日本映画と外国映画あわせて800本以上、年間に観る新作映画の数が日本の映画評論家のなかでも年間に観る新作映画の数が日本の映画評論家のなかでも(多分)一番多いといわれるのが野村正昭さん」と紹介されている(https://lp.p.pia.jp/article/essay/1692/index.html)。
評論家に本格復帰したということなのだろうか。いずれにしても隠棲してDVD鑑賞に耽溺したり、仕事に戻ってきたら見る本数が「一番多い」レベルの精力を誇ったり、まさに映画獣でうらやましく思えてしまう。
現在はDVDより配信主流の時代で、かつて野村は「何がダウンロードだ!」とネットを拒絶する姿勢をみせていたが(「月刊シナリオ」2002年11月号)、いまではさすがに配信で鑑賞しているのかもしれない。