地球に襲来するメカゴジラをゴジラが迎え撃つ。その陰に学会を追われた不遇な科学者とサイボーグ化された娘の悲劇があった。
『メカゴジラの逆襲』(1975)は子ども向けを装いながら( “東宝チャンピオン祭り” の1本としてアニメと抱き合わせで公開)悲運の父娘を陰鬱に描いた、ゴジラシリーズ中でも異色の作品。シリーズ第1作『ゴジラ』(1954)を手がけた本多猪四郎監督や音楽の伊福部昭が復帰し、やはり第1作にて準主役を演じた平田昭彦が今回の科学者・真船役に登板した。ラストではメカゴジラを撃退しつつも、やりきれない哀しみを観客に与える(「わしとお前にはもとへ戻る道はないのだ」という台詞がせつない)。
1月、横浜市にて『メカゴジラの逆襲』のリバイバル上映が行われ、脚本を手がけた高山由紀子氏とチーフ助監督を務めた山下賢章監督のトークショーが行われた。
高山由紀子氏は『メカ逆』にて脚本家デビュー。映画『月山』(1979)、『遠野物語』(1982)、『源氏物語 千年の謎』(2011)などの脚本のほか『風のかたみ』(1996)では監督も務めている。
山下賢章監督は岡本喜八監督などに師事。監督昇進後は『トラブルマン 笑うと殺すゾ』(1979)、『19ナインティーン』(1987)を経て『ゴジラvsスペースゴジラ』(1994)を撮った。
司会はライターの友井健人氏が務める(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
高山「私は去年の暮れに見たんですよ。京都でゴジラのお祭りがあったときに」
山下「きょうに備えてDVD買ってきて、予習というか復習しました」
友井「逆襲ならぬ復習(笑)」
山下「とってもナイーブな映画ですよね」
高山「41年間シナリオを書いてまして、結局私はあのときから同じことを書きつづけてるな、発達してないな、エキスはあのときにあるのかなって。40年以上も同じことをやってきちゃったのかな」
友井「デビュー作には作家のすべてがあるという言葉があります」
高山「そうですか。判りやすい人間ですね(笑)」
【高山氏と『メカ逆』(1)】
高山「私は当時、シナリオセンターが私の住んでいる近くにあって、そこに1年半くらい通ってました。映画が好きで私も何かしたい。映画では監督と俳優さんは目立つから判るけど、最初はシナリオのことは何も知らなくて。
所(所健二)さんという東宝の方が(シナリオセンターに)いらして、勉強の一環としてプロット書いてみないかっておっしゃって。ゴジラはけっこう見てましたから、大体判ってましたけど。募集の条件は “メカゴジラの逆襲” で、新しい怪獣も1頭くらい出ると。私は撮影所にどういう人がいるかって何も知らない状態で、所さんは製作のことをやってらしたみたいです。その後も所さんにはいろいろ教えていただきましたね。大きな劇場に行かれてからも試写に呼んでいただいたりチケットもくださったり、優しい方でした。
父(日本画家の高山辰雄)がすごく映画好きで、特撮とか地震とかそういう映画が好き。父に連れられて、東宝特撮をすごく見てまして、本多監督の本格的な作品は頭に入ってて。印象に残っているのは『モスラ』(1961)ですね。繭をつくって飛ぶとかね。道路よりちょっと太いモスラの顔が向こうに見えて、道路よりちょっと太いというのが印象に残っています。
プロットを所さんが気に入ってくださって、所さんに連れられて東宝撮影所の門をくぐって(プロデューサーの)田中友幸さんにお会いしたんですね。「好きなようにホンを書いてごらん」と。撮影所にあこがれていたけど映画界のことは何も知らなくて、でも喜んでホンを書いたんです。それから3か月くらいで本決まりって伺いまして、本多監督にお会いしました。(監督やプロデューサーのいる)打ち合わせでは、大変なところにいると思って「はい、はい、はい」と。
(プロットが採用されたのは)所さんがあっと思ってくださったから。(シナリオを)守ってくださったのかな。書きたかったことの根幹は(完成作品でも)変わってない。戦うところは東京のいろんなところを書いて、でもそれが造成地になりましたけど。こういうことをやりたいってのは、ほとんどその通りで。
私が通っていた学校の先生はシナリオなんて読むことないって言ってて、映画はいっぱい見てましたけど、シナリオは1本も読まずに書きまして。でも幼いときから東宝のああいう映画を見てましたから、体の中に入ってましたから。チャンピオン祭りのことは頭になくて、最初の『ゴジラ』(第1作)を念頭に書きました。
ゴジラにしては珍しくサイボーグ少女・桂(藍とも子)の恋愛じゃないですか。活劇よりそちらに重きを置いてくださって嬉しかったですね。まだ世の中にロボットアニメが出てなくて、サイボーグが心を持つ、涙を流すってどうかなって。それが私のテーマで、桂さんの「私を壊して」っていう台詞、殺してじゃなくて。その台詞を思いついたとき嬉しかった。
私はいまでも自慢ですけど、ゴジラのシナリオライターで女性は私だけ。どこかで女性を主役に描きたかったんですね。ゴジラ誕生のころからマッドサイエンティストに興味があって、いろんな目に遭って非情になって、でも非情なだけじゃいられない。平田さんにやっていただけたのも嬉しかった。
科学万能になったとき、人間が人間を壊し、地球を壊すってのがあの時代にガーッと出た気がします。いまはどういうふうに地球を守るかって考えが強くなってるけど、あのころは壊すんじゃないかという感じがあった。いまでも人間はモンスターだと私は思いますけどね」(つづく)