【『ゴジラ』(2) 】
中野「(この時期には)東宝ゴジラ団とかファンのグループもあって、同人誌とかね。
最初の準備稿ではラストシーンだけない。スタッフにまでラストを隠してどうするんだよって。スタッフにIDカードを配って前から下げろとか。撮影が始まったら見学禁止で、スタジオの入口でガードマンが立って、IDカードを見せなきゃいけない。それだけ必死だったんだね。
噂では、監督には恩地日出夫さんの名も挙がっていたよ。ちらっと聞いただけだけど。当時恩地さんはジェームス三木さんの「アダムの星」というSFのシナリオをやろうとしていた。恩地さんは結構乗ってたんだけど、でも東宝は思い切りがつかなくて(実現しなかった)。
スタッフにはゴジラをやったことがない人がいいと思ったのかな。音楽の小六禮次郎さんとか。いい曲だと思ったけど。
友幸(田中友幸)さんは核を前面に出したい。でもぼくは、ぬるま湯に浸かった日本人に見せるのは、ちょっと違うんじゃないかなって。(脚本の)永原秀一さんと田中文雄と喧々諤々。基本的にゴジラは神でなく動物でいこうと。帰巣本能とかね。
原発を襲うシーンでは上から手を突っ込むのは上が柔らかいからで、核はあぶないぞっていう。核も前面に出すのは難しいかな。アメリカ版ゴジラ(『GODZILLA ゴジラ』〈2014〉)では、核はサラッとしてたけど、あれだけでも立派だよね。
対戦相手がいたほうが、らくだね。画も派手にできるし。ひとりで何やるの(笑)。一人芝居は難しい。
1作目(『ゴジラ』〈1954〉)では銀座の和光がいちばん高かった。でも新宿にあんな高層ビルが建って、仕方ないから設定を変えてゴジラを80〜100メートルにしようと。次の新作ゴジラでは600メートルぐらいにすればいいんじゃないかな(一同笑)。
ゴジラの巨大感を出すために実物大をつくろうって言って(笑)片足だけつくった。
サイボット・ゴジラとぬいぐるみとで顔が違う。2匹いるのかと言われて、ゴジラは怒ると顔が変わるんだって(一同笑)」
クライマックスのゴジラ進撃シーンでは、有楽町マリオンや新宿のビル街がゴジラに破壊される。
中野「当時マリオンはできたて。ニュースバリューもあるし。ロケハンや撮影のころは、まだ東宝マークが付いてなかったね。
高層ビル(のセット)は窓の明るさが違うようにした。日本人は働き者だから、夜中も電気が煌々とついている窓もあれば真っ暗なのもある。美術には文句も言われたけど。
ゴジラが3万トンの体重で住友ビルを動かしたらどうなりますかって(特別スタッフの)大崎(大崎順彦)教授に訊いたら、下から折れますって。言い訳だね。散々言われたんだよ、ぼくは。『日本沈没』(1973)の高速道路もあんなふうに壊れないとか(笑)。
この『ゴジラ』でシネマスコープからビスタサイズになった。シネスコじゃテレビ放映できないって言われて、ビスタなら一部切るだけでいいからね。シネスコで撮れたら、もっといろいろできたのにね」
中野「『首都消失』(1987)のときはLDが2時間しか入らないから、2時間以内にしてくれとか。(監督の)舛田利雄さんと「何でおれたちがこんなことを」とか言いながら切ったね。それだけこだわったLDも、もうなくなったよ。ざまあみろ(笑)。
いまはフィルムじゃなくてデジタルだけど、デジタルはソフトがひとつしかない。音も高音しか出ない。音の微妙な強弱もだめだね。若い人には、デジタルでしかできないことをやってもらいたいね。デジタルならではってものができたら、フィルムのゴジラなんて見ちゃいられないことになるかもしれない。LDなんて捨てちゃえ(笑)。ぼくも新しいゴジラまで生きていられるかどうか(笑)」
【その他の発言】
『大空のサムライ』(1976)や『ゴジラvsビオランテ』(1989)、テレビ『超星艦隊セイザーX』(2005)などの川北紘一特技監督が今年12月に逝去。中野監督とふたりで東宝の特撮作品を支えたベテラン演出家である。
中野「(川北監督の死は)アナログ特撮の終わりを象徴しているのかな。ある時期が終わったな、という…。彼はほんとに特撮好き、ぼくと違って。特撮なら、演出でも美術でも何でもいいみたいなところがあったね。コレクションはマニア以上だった。
彼は戦争ものが大好き。カラオケへ行っても軍歌しか歌わない。特攻隊を羨ましがってた。『大空のサムライ』はいちばん張り切ったんじゃないかな。酒飲んで話すのも飛行機の話だったね。
紘一の紘は、八紘一宇の紘。昔は紘のつく名前が多かった」
その他の話をランダムに紹介したい。
中野「(満州生まれで)終戦後の1年間は大陸をさまよってた。宝田明が最近言ってたけどロスケが、ぼくはこの言い方をしちゃうんだけど、お母さんを乱暴するのを見ていたと。ぼくも同じような体験をしてるんだ。そこへ向こうの憲兵みたいなのが来て、やっぱり世間体が悪いから、そういうやつをバーンと撃ち殺す(笑)。
チェーホフの戯曲は会話がずれている。その間を表現するのが難しい。三文役者じゃできないよね。
(『日本沈没』などの脚本家の)橋本忍さんも電話魔で、撮影できるっていう裏付けがないと書かない。「これ、できるかね」って夜中でも電話がかかってくる。こっちは現場で疲れてるのに(笑)。友幸さんからも電話で「予算減らんか?」とか。助監督の時代はまだ電報で「シキュウシュッシャサレタシ」と。あのころメールがあったらえらいことになってたね(笑)。
『首都消失』で(原作の)小松左京さんに(雲が首都を襲う)クライマックスはどうしますって訊いても、わからないって(笑)」
中野監督のロングインタビュー『特技監督 中野昭慶』(ワイズ文庫)が今年文庫化され、発売中。