『野獣の青春』(1963)、『殺しの烙印』(1967)、『ツィゴイネルワイゼン』(1980)などでカルト的な人気を誇る鈴木清順監督のトークショーが2年前の2012年1月に池袋にて行われた。諸事情(!?)により、いまさらのアップである。
清順監督は『殺しの烙印』が「わけがわからん」と当時の日活社長の逆鱗に触れて、日活を解雇されている。俳優としても多数の映画・テレビに出演。筆者にとっては『美少女仮面ポワトリン』(1990)の神様役が印象的であった。
このトークは、映画評論家の山根貞男氏が長年執筆した映画評(「キネマ旬報」連載)が『日本映画時評集成2000 - 2010』(国書刊行会)としてまとめられたのを記念して行われた。山根氏は1986年から長きに渡って映画時評の連載をつづけておられ、筆者とはあまり好みが合わないのだが、それでもこの強烈な論客からは影響を受けた。
トークの前後には比較的最近の『ピストルオペラ』(2001)と『オペレッタ狸御殿』(2005)が上映された。この時点で88歳の清順監督は酸素ボンベを付けて車いすに乗った状態だった(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
清順「(観客に向かって)みすぼらしくてすみませんね。(山根氏に)きょうの会は何なの?」
山根「私の本の出版記念です」
清順「みなさんに買ってもらうための? そのために狩り出された。お返しはないの? そんなバカな。私は奉仕しませんよ(一同笑)」
『ピストルオペラ』は、当初のタイトルが “新・殺しの烙印 ピストルオペラ” 。謎の組織にランキングされる殺し屋たちの戦いを描く『殺しの烙印』はいまなお人気。
清順「『殺しの烙印』の続編を撮ってくれとプロデューサーから話があって。でもあれ以上のホンが出てこない。男(のキャラ)で行き詰まったから、女の殺し屋にしたんです。男ではいいホンができない、前と似ちゃう」
山根「二番煎じになっちゃうと」
『ピストルオペラ』の主演は江角マキコ。江角の起用はプロデューサーの発案によるものであったらしい。
清順「運動神経の発達した人。駆けっこ、でんぐり返しとか、普通の女優さんじゃ無理。そこであの人」
山根「江角さんは合格でした?」
清順「さあ。まあ、大したもんでしたよ。でも初日ですっころがっちゃったんです。足が痛いって言い出して。鍛錬しとけってんだよ」
美術の故・木村威夫と清順監督は『関東無宿』(1963)や『春婦伝』(1965)など多数の作品で組んでいる。『ピストルオペラ』に参加した木村は既に80歳を過ぎていた。
山根「撮影現場、ぼく見てたんです。(セットの)背後の柱が斜めになっているなと感心していたら、監督は「変なことやりますね」とおっしゃったんです」
清順「ほう」
山根「あれは木村さんの発想なんですか」
清順「ふーん」
山根「鈴木清順監督の映画は、われわれが思う映画からいつも外れていきますね」
清順「外れませんよ。私はみなさんに愉しんでもらおうと思って娯楽映画をつくってる。日活のときからサービスしてますよ。日活は娯楽をつくってる会社だから。おもしろく見てもらうために工夫する」
山根「その工夫の仕方が変わってる(一同笑)。不思議な映画です」
清順「どの監督もいろんなことを考えてる。それをやるかやらないか。人を驚かせるには度胸がいるね。度胸がない人もいるけど(自分は)度胸があるから、クビになった(一同笑)」(つづく)
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