私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

切通理作 インタビュー “恥じらい、切なさ、情けなさ…今だから言える話”(2011)(1)

 『怪獣使いと少年』(宝島社文庫)や『ウルトラマン ニュージェネの証』(ホビージャパン)、『山田洋次の〈世界〉』(ちくま新書)、『失恋論』(角川学芸出版)などの批評・インタビューや監督映画『青春夜話 Amazing Place』(2017)などで知られる切通理作。その切通氏が性について語ったインタビューが以前に “コイトゥス再考” というサイトに載っていたので以下に引用したい。

 

 生粋の特撮マニアであり、一方では長年にわたるピンク映画ウォッチャー。宮崎駿を熱弁する傍ら山田洋次の幻風景を追いかけ、果ては自身の赤裸々な失恋談までをも本にし、エロこそ情緒だと語る…。
 切通理作とは不思議な批評家だ。
 高みからクールに社会を分析する人、みたいなステレオタイプな批評家像は、彼を前にすれば途端に瓦解する。人呼んで「乙女系」。目線はいつだって我らと同じ、時に情熱的に、時に哀切を込め、世界を弁ず。
 コイトゥス再考、批評家・切通理作氏をお迎えしお送りする今回。
 話題は、インタビュー前に阿佐ヶ谷ラピュタにて鑑賞をご一緒した69年製作のピンク映画『肌のもつれ』についてを皮切りに、かつて娯楽的に消費されていた往年のエロ文化について、そして現代のオタクと恋愛について。
 もしかしたらこの話、せつないかもしれない。

(2011年6月/阿佐ヶ谷ラピュタにて佐々木元監督による1969年のピンク映画『肌のもつれ』を鑑賞後、劇場近くの中華料理店にて収録)

 

――あらためて本日は宜しくお願いします。実は僕、60年代のピンク映画を観たのは今回が初めてだったんですが、ちょっとビックリしました。ピンク映画であるにも関わらず、エロシーンがライトというか、どちらかというとドラマ重視で、変な話、あまりエロくなかったというか(笑)。

切通 あの時代にしては露出度高い方ですよ。カラミでキスシーンがあるのに驚きました。裸もちゃんと映っていた。

――あれでですか? いや映画としては凄く面白かったのですが、正直、これでピンクなのか、と思う部分もありましたが…。

切通 あの当時は規制が激しくて、いまみたいな激しい描写はそもそも出来ない。腰が密着してるように見えるだけでNG。手のUPでシーツを掴むとか、喘ぎ顔の唇のUPとか、断片を重ねて全体をイメージさせて、想像を促すしかない時代です。主演ヒロインの裸のシーンすらないピンク映画も珍しくないんですよ。セックスシーンがずっと蚊帳越しに写されていたりね。えんえん俯瞰で。

――逆に言うと、当時においてピンク映画と一般映画はなにをもって分けられていたんです?

切通 まず背景として、当時の映画界は旧映画五社による配給じゃない映画ってだけで本線からは外れていたんですよね。東宝、新東宝東映大映、松竹、その五社以外の作品はそれだけで遊撃手的、ゲリラ的な「もうひとつの映画界」だったんです。そういうのを見に行くだけでなんかいかがわしい、猥雑なB級精神を刺激されるものがあったんだと思います。

――なるほど。資本の小さな制作会社が映画を世に出す方法の一つとしてピンク映画があった、と?

切通 マイナーな映画がメジャーに対抗するためには、大して過激なことはできないにせよ、例えばタイトルを「色情狂い」「牝」みたいな分かりやすくエロいものにしてお客さんを呼び込む。赤く毛先が跳ねたような扇情的な書体で。見世物小屋にも通じる感覚があったんだと思います。

――でも実際、その内容はと言えば、お色気と言っても多少おっぱいが見えて、男女が身体をまさぐり合うのが限界っていう(笑)。

切通 80年代より前の映画って、例えばアクション映画といっても見せ場のアクションシーン以外のほとんどのシーンにおいてはドラマが中心だったりしたわけですよ。ノンストップアクションなんていうのが主流になったのは80年代以降。それはピンクも同じで、短い絡みのシーンがあり、他のシーンではそれぞれ普通のドラマが展開されていたわけです。その後AVが登場し、そこに対抗していく中で絡みがエスカレートしていったわけですが、ピンクにとって第一の波は71年に五社の日活が「ロマンポルノ」を始めたこと。ロマンポルノは「大手が作ったピンク映画」と解釈すればいいと思うんだけど、この時カラミの頻度が増えて、ピンクも影響されたんです。

――最近の傾向としては一般映画においても「エロはエロ」、「ドラマはドラマ」っていう具合にはっきりと分離している感じがありますね。

切通 60年代までは一般映画のベッドシーンでも多くが裸は写ってなかったんですけど、70年代にそういう描写が解禁されて、80年前後には松坂慶子小柳ルミ子などの大スターが大人の演技に脱皮するために映画で脱いだりっていうのがあったんですよね。今はそのあたりの時代より多少後退していて、一般の女優さんは前より脱がないですよね。若い人だと事務所がすごくうるさくて、いわゆる性的な意味合いで露出させたりするのが難しいと聞きます。だからチアガールにしてみたり水泳部にしたり、健康的な露出を言い訳にしてる感じですよね。

――そうですね。ただ、こう分かれてしまうと、どちらにも物足りなさを禁じ得ないですが。

切通 それは映画などに限った話ではないと思います。例えば昔の秘宝館の音源なんかを聞くと、喘ぎ声をサンプリングしたような不思議な音を延々と流していたりしてたんだけど、そういう、想像をかき立てるような世界って今減退してるでしょ。今の感覚だと、「こんなのを大の大人が喜んでたのか」って疑うわけですよ(笑)。かつてのキャバレーもそうだけど、以前は「大人の娯楽」みたいなものが存在していて、またそれが現在とは違い、露骨な射精産業に必ずしも結びついていなかったりもした。ピンク映画みたいに、どちらかと言えば雰囲気を味わうのが楽しみみたいな世界。ここからは大人の時間、みたいな。つづく