2020年1月初旬、脚本家の上原正三が逝去した。『ウルトラセブン』(1967)や『怪奇大作戦』(1968)、『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975)、『宇宙刑事シャリバン』(1983)など幾多の傑作・ヒット作を送り出した巨匠だが、代表作として語り継がれたのが『帰ってきたウルトラマン』(1971)の第33話「怪獣使いと少年」だった。
批評家の切通理作はこのエピソードのタイトルを引用した著書でつづる。
「この作品はとにかく衝撃だった。民族差別に怒りを覚えたとか少年がかわいそうという以前に、「日本にはこういうひどいことがあるんだ」、そのことがまだ世の中を何も知らない子どもの僕にも直感できてしまったのだ」(『怪獣使いと少年』〈洋泉社〉)
脚本の上原は当時の構想を述べている。
「僕のなかでは、関東大震災で朝鮮人がデマの中で虐殺されたという事実はいつも頭の中にあって、人のなかには、いつそういう風に変わるかわからない面がある。そういうことをストーリーに出来ないか。穴を掘っている少年がいて、周囲の反応がだんだん凶暴になっていく。一つの噂が他の噂を呼んで、最後にはどうにもならなくなるという話が組み立てられないかと思っていました」(同上)
切通の著作では上原だけでなく、当時新人監督だった東條昭平への取材も行われた(2000年の増補時)。長くなるけれども内容が興味深いので以下に引用する。
「世界の中で日本の場合は春夏秋冬に恵まれている。それを宇宙に置き換えればどうなるのか。たとえば年がら年中常夏の国の人間は、着るもの一つあれば三六五日暮らしていける。ところが日本はそうはいかない。日本の四季を知らない宇宙人が地球に来て、寒くなって木の葉が枯れるように朽ちていく。そんなイメージだけが最初にあって、上原さんに脚本をお願いして出来上がってきた作品なんです」(同上)
「「怪獣使いと少年」は、『ウルトラQ』の途中から助監督をしていた僕のウルトラでのデビュー作です。テストケースで一本だけチャンスが与えられた。「東條のために一肌脱ごう」と上原さんが書いてくれました。僕は当時三十代前半で、燃えてる時代というか、我々は安保世代ですから、口に出してはいけないものも、表現の形を借りて出してしまおうという姿勢があった。同じウルトラシリーズをやられていた山際永三監督にもそういうところがあった。山際さんは同世代の大島渚さんたちと共に斗ってるという意識があって、どこか大向こうを気にしてやってるところがあったと思う。僕は意識的にではないけれど、やはり今振り返れば時代の空気の中に居たと思います。「怪獣使い~」撮った時だって、その後また撮れるチャンスがあるかどうかわからない。「もう明日はない」くらいの気持ちで、とにかく変わったことでもなんでもいいからやりたかった。演出的にも、豪雨のシーンなんかは雨を降らせながら撮って、制作日数が普段よりオーバーしてます」(同上)
「東條監督は子どもの時に観た映画『あすなろ物語』の中で知恵遅れの子どもが穴のなかに埋められているシーンが強烈に印象に残っており、それを是非やりたかったという。「穴を掘っている少年が逆に墓穴を掘ってしまう。自分がそこに埋められてしまうというイメージですね」」(同上)
「僕は上原さんのシナリオにあった、主人公の郷秀樹の肉親に代わる存在であるレギュラーの坂田兄妹が主人公に同情的な姿勢を示すという部分を独断で全部削ってしまった。あの回に坂田兄妹が登場しなかったのは、役者さんのスケジュールの都合じゃないんです」(同上)
レギュラーの防衛チームの面々は隊長(根上淳)を除いて登場しないが、それは東條の判断によるものだという。
「間に立つ人間は、作品の上では必要ないと思った。ところが完成作品を観た局から、民衆の中にもある程度理解のある人がいるという要素を入れてほしいと言われて、ギリギリの線で(パン屋の女性を)入れたんです」(同上)
隊長は、托鉢僧の姿でも登場する。
「郷の内部、心のなかの世界なんですね。変身することによってウルトラマンの意識に変わり、自分の使命を守る。でも郷のなかには民衆への怒りはある。あそこまで民衆の醜い面を見た郷を、ウルトラマンになるまでに至らせるのは難しい。そこで父代わりの隊長を出した。でも郷がウルトラマンであることは隊長に明かしてはいないので、別の形を借りて登場する。だから郷にとってあれは僧だけど、視聴者には隊長だとわかる。そこに持っていくために、前半から托鉢僧の姿で少年を見守らせたんです。何も出来ないけど、寄り添うように」(同上)(つづく)