私の中の見えない炎

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三谷幸喜と深津絵里・『ザ・マジックアワー』『ステキな金縛り』(1)

 新作映画『スオミの話をしよう』(2024)の脚本・監督を務める三谷幸喜は「普段は、あの役者にあの役をやらせたら面白いぞ、みたいなところからストーリーを考える」(『三谷幸喜のありふれた生活3 大河な日日』〈朝日新聞出版〉)とジョークまじりで語ったことがあったが、事実『スオミの』は主演の長澤まさみありきで生まれたという。そのように俳優を軸に創作することの多い三谷が、深津絵里を追っていた時期があった。

 三谷幸喜は劇団を主宰している80年代から度々俳優として舞台に出演することもあり、映画『西遊記』(2007)では国王役を演じた。その撮影が行われた2006年、三蔵法師役で共演したのが深津絵里だった。深津は回想する。

 

そうしたら、なんかとても話しやすいと思ってくださったようで、その日の帰りにプロデューサーの方に電話をされたみたいです。その一週間後には正式な出演オファーがあって、本当にびっくりしました。まさかあの出会いがこんな風に繋がるとは、って。でも三谷さんはずっと舞台をやられてきた方ですし、コメディというものにとてもこだわって作品を作り続けてきた監督ですから、一度お仕事をしてみたいなと思いました」(「SWITCH」2011年11月号)

SWITCH Vol.29 No.11(2011年11月号) 特集:深津絵里

SWITCH Vol.29 No.11(2011年11月号)

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 深津は三谷監督『ザ・マジックアワー』(2008)にボス(西田敏行)の愛人という重要なヒロイン役で出演。九州ロケでの深津に関して三谷はエッセイに記している。

 

僕の中の深津さんは、かなりの歴史好きで、暇さえあれば司馬遼太郎なんぞを読んでいるイメージ。だが実際はまったく違った。ロケ地の高台から見える関門海峡を指さして「あそこが壇ノ浦ですよ」と話しかけても、全く興味を示さない。

 「何があったところか知ってますか」「大きな戦いがあったところですよね」「どことどこが戦ったか知ってますか」「敵対する人たちでしょ」「勝ったのは誰?」「先に仕掛けた方」 どこまでもいい加減に答える深津さんの目は、まるで歴史に興味がなく、僕の話にただただ機械的に相槌を打つ妻の目によく似ていた」(『三谷幸喜のありふれた生活7 ザ・マジックイヤー』〈朝日新聞出版〉)

 三谷は深津を当時の妻になぞらえている。『ザ・マジックアワー』公開が迫ったころに、深津の特集が組まれた女性誌に三谷はコメントを寄せた。

 

あくまでも例え話としてですが、もし付き合ったとしても、「一緒に死んで」とか絶対言わないだろうし(笑)、人生相談しても「そういうこともあるよね~」と軽く流してくれそう(笑)。そういう風通しのいい感じも魅力なんです。

 格好いいなと思うのは、当然空気が読めるんだけど、あえて合わせないところ。ことさら人に気に入られようとしないところですね」(「anan」2008年4月2日号)

 

 組んだ俳優に三谷が応援コメントをする機会は多々あり、例えば酒井美紀などについても語っていた記憶もあるけれども、しかし「あくまでも例え話」とはいえ「もし付き合ったとしても」という言葉が出てくるのには、何かを感じてしまう。ただしこの程度であればリップサービスに過ぎないと見ることもできよう。

 つづいて三谷は監督映画『ステキな金縛り』(2011)の主演に深津を起用。エッセイでは深津との「仕事上の相性が、この上なくいいのは、間違いない」(『三谷幸喜のありふれた生活10 それでも地球は回ってる』〈朝日新聞出版〉)と述べる。

 

いい俳優さんの条件は、僕ら脚本家や演出家に(この人にもっとこんな役をやらせてみたい)とと思わせる力を持っている人。実際、今回の撮影現場の深津さんを見ていて、彼女に演じてほしいキャラクターが、既にいくつか見つかった。つまり、彼女は僕にとってとても「いい女優」さんなのだ」(『それでも地球は回ってる』)

 

 『ステキな金縛り』は2010年7月末にクランクアップし、三谷は翌年の舞台『ベッジ・パードン』(2011)のヒロイン役を深津にオファー。同作のためにロンドンに取材旅行に出かけている。

 

映画が一段落した後、やらなければならない仕事が山ほどあるというのに、気持ちが切り替えられない。ここは気分転換をするしかないと、思い切って旅に出ることにした。元来の貧乏性的思考が働き、どうせ旅に出るなら何か仕事に繋げようと、来年(二〇一一年)の新作舞台『ベッジ・パードン』がロンドン留学中の夏目漱石が主人公なもので、それにかこつけて、彼の足跡を辿る三泊五日のロンドン旅行を企画。そんなわけで僕は、ロンドンのホテルでこの原稿を書いている。

 生まれて初めての一人旅。といってもまもなく五十になろうというのだから、世間からすれば「はじめてのおつかい」の百分の一のインパクトもないかもしれない。それでも、僕にしてみれば画期的なこと。そもそも旅がそんなに好きではないのに加え、都内でも未だに迷うほどの方向音痴。この十年、海外旅行といえば仕事がらみで、僕はスタッフの後をついて行くだけ。ただ言われるままに移動していた記憶しかない。そんな僕がロンドンに一人旅。それは宇宙服を着ないで月面に立つくらい無謀なことだ」(『それでも地球は回ってる』)(つづく