私の中の見えない炎

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三谷幸喜と深津絵里・『ステキな金縛り』『ベッジ・パードン』(2)

 海外公演などの経験はあっても「旅がそんなに好きではない」三谷幸喜にとって単独渡航は挑戦であっただろう。それにしても「気分転換」をしたい折りは過去にもあっただろうに、ロンドン行きが何故この2010年というタイミングだったのか。本人の言う通り取材とか、50歳を迎える節目にチャレンジしようと思ったとか可能性は考えられるが、もうひとつあり得べきことがある。

 『ステキな金縛り』(2011)の撮影を2010年7月末に終えた深津絵里は、同年の下半期に舞台『春琴』の公演をパリ、ロンドン、台北で行(おこな)っていた。三谷はエッセイでは『ベッジ・パードン』(2011)のためにロンドンで「夏目漱石が住んでいた下宿を訪ねるのが今回の旅の目的」だというけれども、下宿を取材する前夜に「深津絵里さんが主演している舞台『春琴』がこちらで上演されているので、それを観劇」したとわずかに記している(『三谷幸喜のありふれた生活10 それでも地球は回ってる』〈朝日新聞出版〉)。『春琴』はまるでついでのようだが、そのさりげなさが逆に怪しい。実際には深津の舞台こそが主目的で、三谷は深津に大それた野心を抱いていたのではなかろうか。

 2011年は三谷の「生誕50周年」で「三谷幸喜大感謝祭」が催された。4本の舞台を上演し、前年に撮影した映画『ステキな金縛り』に加えて単発ドラマなど合計7本の作品が送り出されている。「一年間でこれだけの作品を発表するのは、初めてだ。意図したわけではない。」「気が付けば来年で僕は五十歳。節目の年である。そこに何か運命的なものを感じてしまった」のでイベント化することにしたという(『それでも地球は回ってる』)。そのうち3本に深津は登場。深津は「三谷さんのおめでたい年に、そんなに私ばかりでいいのかなと…」とやや困惑を滲ませる(「SWITCH」2011年11月号)。

 『ベッジ・パードン』での深津について三谷は「誰よりもエネルギッシュに舞台を走り回る」「深津さんの今のところの舞台の代表作と言っていいと思う『春琴』の主人公と似ても似つかない」と評し「今回の舞台の彼女を見て、また深津さんに演じて欲しい新しいキャラクターを発見」したという(『三谷幸喜のありふれた生活11 新たなる希望』〈朝日新聞出版〉)。

 その年の秋に『ステキな金縛り』公開に合わせて女性誌で行われた三谷と深津の対談は、筆者にとってはちょっとした衝撃だった。「このパブ、実は大学生のとき、初デートで来たんです」という三谷の発言で対話は幕を開ける。

 

深津 本当ですか!?

 三谷 そう、大人っぽい店がいいかなと思っていろいろ調べて、ここにしたんです。そのときは、カキを食べたような気がするな。

 深津 思い出の場所なんですね」(「Grazia」2011年11月号)

 

 三谷の過去のインタビューでは「ラブストーリーを書くと、僕はいつもこういうことをいってるんだ、こういうやり方をしてるんだと思われるのが恥ずかしい」(「GALAC」1998年1月号)と述べており、強い自意識を感じさせたが、初デートの場所に深津を呼ぶとはこの対談での三谷は別人かと思うほど体裁を構わない。

 

三谷 でもそのとき(引用者註:初対面時は)僕にはすごく話が弾んだ記憶があったんだけど、盛り上がったのはそのときだけで、こんなに心を開かない人だとは思わなかった! もっと僕の方を向いてよ、って言いたくなるくらい(笑)。

 深津 そんなこと、ないですよ!」(「Grazia」)

 

 まるでチェキ会やミーグリで、推しにときめくガチ恋勢のような雰囲気である。三谷は「深津さんにはできれば今後、僕の作品には全部出てほしいぐらいの気持ちです」「本格的にダンスをやってみたりとか?」と迫っているけれども、深津は「うーん……、なんか、(引用者註:ダンスは)三谷さんの作品のためにはなりそうですけれど、ほかのことにはあまり役立たなさそうですね(笑)」と応じる。 

 結局「全部出てほしい」との言葉とは裏腹に深津の三谷作品への参加は『ステキな金縛り』が現状では最後となり、エッセイなどでも触れられなくなった。『踊る大捜査線』シリーズで深津と共演した北村総一朗はインタビューで深津を気に入っていると口にしたら、その後に「彼女の僕を見る目が変わったからねえ」と苦笑して語る(「この映画がすごい!’99」Vol.1)。クールな深津は男性に好意を示されると、もて遊ぶようなことはなく視線を変えるということかもしれない。

 かつてアルフレッド・ヒッチコック監督は『鳥』(1963)や『マーニー』(1964)に主演したティッピ・へドレンに対して激しい求愛とパワハラ行為に及んだ。ヒッチコックの評伝にはこうある。

 

すべてを変えたのは彼の内なるもの----やがては彼を破滅へと導く、悲しい恋情だった。彼は愛という名のもとにその感情をつのらせ、最初は慎重に、そしてしだいに大っぴらにそれを示すようになっていった。彼はこの時期に受けた痛手から完全に立ち直ることはなかった。それは彼の中の何かをつぶし、永久に葬り去ってしまったのだ」(ドナルド・スポトー『ヒッチコック 映画と生涯』〈早川書房〉)

 

 だが常識家の三谷はヒッチのようなハラスメントは当然しなかったであろうし、キャリアに傷がつくこともなかった。

 この翌2012年に三谷と知り合った映画会社勤務の女性は、三谷の愛犬が死んだのを励ましたと報じられているが、深津と上手くいかなかった悲しみをも癒したのかもしれない。2013年に三谷はこの女性と再婚している。

 三谷のような稀代の天才作家にはせっかくの?中年期の恋の修羅を、作品に昇華して盛り上げるような戯作者根性を見せてほしかった憾みもないではない。『真田丸』(2016)や『鎌倉殿の13人』(2022)などで新境地を開いたのだから、まだこれからでも…。