私の中の見えない炎

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三谷幸喜と西村雅彦(西村まさ彦)(2)

 三谷幸喜と西村雅彦(西村まさ彦)との関係が、再度ぎくしゃくしたのがシリーズ第3作『古畑任三郎』(1999)の時期である。西村はレギュラーの今泉役を演じていたが、三谷は「今泉のおもしろさが行き着くところまで行った」として退場させて、西村が全く無関係の犯人役として出演するというアイディアを提示した。

 西村は演じてみたい役として「非道だがクールな殺人犯とかね(笑)」とコメントしており(「キネマ旬報」1998年12月上旬号)三谷も意識したのかもしれない。だが西村は三谷の提案に対して今泉も犯人も両方やりたいと言い出し、二者択一に難色を示す。

 

今泉役でも出ておきながら最終回に別の人物での犯人役はありえない。結局、今泉を続行したんです」(『三谷幸喜 創作を語る』〈講談社〉)

 

 三谷は「僕はやっぱり西村に最終回で犯人をやってほしかった。そしたら、第3シーズンはだいぶ変わったと思う」「俳優・西村雅彦のサクセスストーリーとしてはとてもいい形かなあ、と思ったんだけど」「でも本人がイヤだっていうんだから、しかたない」と述懐する(『三谷幸喜 創作を語る』)。

 そして同じ1999年に西村には事務所の移籍トラブルが生じた。前年に知り合った女性の影響で仕事の姿勢に変化が見られ、女性の仕事上の口出しが急増して西村は周囲のスタッフに挨拶もしなくなった、などと書かれている(「週刊ポスト」1999年12月10日号)。

 

こうした西村の変貌には、劇団「東京サンシャインボーイズ」の頃から苦楽を共にしてきた『古畑〜』の脚本家・三谷幸喜氏も眉をひそめており、2人はほぼ絶縁状態にあるともいう」(「週刊ポスト」)

 

 西村の言動が事実なのだとすれば、三谷の「僕がどれだけ彼の尻ぬぐいをしてきたか(笑)」(「週刊文春」1999年2月11日号)という冗談めかした発言を裏づけるようなトラブルメーカーぶりである。三谷と縁を切ったのかという質問に西村は「もともとそんなに親しいわけじゃないですから。僕は彼の電話番号も知らないし、住まいも知らない。仕事で会えば普通に会話するという関係です」と応じた(「週刊ポスト」)。この時点でふたりは決定的な対立を迎えたように感じられるが、先述の『古畑』続投をめぐって既に気まずい仲になっていたのではないかとも想像される。

 その後、三谷と西村は2003年に『王様のレストラン』(1995)のオーディオコメンタリー収録にて対面している(『三谷幸喜のありふれた生活 大河な日日』〈朝日新聞出版〉)。他にミニドラマ『今泉慎太郎 大空の怪事件』(2004)やスペシャル『古畑任三郎FINAL』(2006)、昔の劇団仲間が同窓会的に参集した舞台『returns』(2009)などで組んだ。2011年には『笑の大学』(1996)の再演が持ちかけられ、ならば新作をということで同じ西村と近藤芳正の顔合わせで『90ミニッツ』が送り出された。それら諸作は両者が主体的に動いたわけではなく、シリーズ物だったり企画先行だったりいずれも外部からの働きかけがあって実現したようである。ちなみに『笑の大学』が2004年に新しいキャストで映画化された際に三谷も近藤もガイド本でインタビューを受けているが、西村のコメントはない(『「笑の大学」の創り方』〈ぴあ〉)。

 2016年、三谷脚本の大河ドラマ真田丸』に重要な役で西村が出演。三谷が西村のことを昔からの「知り合い」だと素っ気なく言及する(『三谷幸喜のありふれた生活 いくさ上手』〈朝日新聞出版〉)一方で、西村は歳月を経て丸くなったのか「脚本を担当する三谷さんとは劇団活動をしていた頃の盟友です(…)またこうして彼の作品に参加できることをうれしく思っています」(「朝日新聞」2016年1月8日)と穏やかに語り、関係は遂に雪解けに向かっているのかとも思われた。

 

振り返るとあっという間の20年。実は心の奥底にしまいこんだ記憶が数多くある20年」(「朝日新聞」)

 

 西村にとっての20年前とは『古畑』の第2シリーズや『巡査 今泉慎太郎』(1996)で三谷に苦言を呈された時期である。西村の「心の奥底にしまいこんだ記憶が数多くある20年」というのは意味深で、第2シリーズ以後の彼は悔恨を多々抱え込んでいるのかとも思える。

 コロナ禍が始まった2020年、代表作『12人の優しい日本人』(1990)のZoom朗読配信が行われてかつての出演者とともに西村も参加した。しかし、その後また三谷と西村の協働はなくなってしまっている。

 三谷と西村との関わりを振り返ると、筆者の勝手な印象ではどことなく西村のほうに非があった感は拭えない。しかし、特に関係修復を願うわけではないが、ふたりのこじれ方には人生において不可避的な行き違いがあるということを悲哀とともに感じるのだった。西村はこうも述べる。

 

よくぞここまで俳優をやって来られたなと、感慨もひとしおなのですが、立ち止まることなく、今はとにかく前を向いていこうと思います。若い頃には全く考えなかった老いと向き合いひたすらに生きるのです」(「朝日新聞」)