私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

村川透 トークショー レポート・『白い指の戯れ』(2)

【俳優陣について】

 『白い指の戯れ』(1972)の荒木一郎は『現代やくざ 血桜三兄弟』(1971)などの三枚目っぽい役柄とは異なり、実にかっこいい。

 

村川荒木一郎さんはなかなかの感性の持ち主で、閉所恐怖症なんですよ。そこが面白い(笑)。いろんな趣味がありまして、話してても感性が同じだったんですね。絶対にあの人を主役にしようと。ギャラ(の多く)は荒木くんだから(笑)女優は新人を使おうということで。最後のほうに粟津號の刑事が出てきますね。粟津と彼女(伊佐山ひろ子)は劇団青俳で、彼女はまだ正規生にもなってないひよっこで。おれは舛田利雄さんの『あゝひめゆりの塔』(1968)とかのチーフ助監督をやってたころに青俳によく出入りしてて。各劇団を回って、特に青俳とは仲がよくて。新人を見つけ出して荒木と組ませたということですね。とても変わってる女優さん。

 荒木くんがいいなと思ったのは、タバコの灰をすっとまいてその上に女性を転がして性戯に入っていくという。荒木が「こうしない?」ということで、カットした途端に伊佐山が「熱い!」と飛び起きて(笑)。軽くやけどしたんじゃないかな。でもああいうのは創造性があって、私は助かりました。

 伊佐山が一生懸命頑張ってて、拙いですけれども、最後には好きな男のために犠牲になるっていう純情さは…。最初に出てきたときと同じで、またもとに帰るという。ほんとに助けられましたね。

 荒木は手品が好きなだけあって、スリが本職みたいに上手いんですよ(一同笑)。現場は噴き出すくらい面白かったです」

 

 伊佐山・粟津など『白い指』の出演者は、その後に村川監督のテレビ『大都会 闘いの日々』(1976)などにも登場する。

 

村川「もちろん私(のリクエスト)です。縁(えにし)みたいなのが絶対あるんですよ。よくやってくださいました」

 

【その他の発言】

村川「あのころは沖縄が還ってきた年かな。(ラストで)チューインガムを吐き出すのが、これがいっとう最初。おれが監督になって最初に撮ったカットですよ。わざとラストシーンから撮っていこうと。逆なことをやろうという思いが常にあって。ずっと監督をやりますが、最初に「用意、スタート」と言ったカットですね。

 音楽は私の願いで、細かいところまできっちりはめようと尺も全部決めて。荒木くんは音楽家でシャープな人ですから、音楽は木管の編成でピアニストも呼んで。途中のドラムだけのやつとか。荒木は(劇中で)自分でギターを弾いてますけど。画と音楽は本当に大切だと思ってます。

 (美術や衣装も)狙っています。(主人公が途中で着替えるのは)女性がどんどん変わっていく、人生も変わっていくという。その皮肉と素晴らしさだよね。悲しみと喜びと多義的なものがあって。青春群像がそれぞれにある。もう私も歳をとりましたからね。50年前の映画ですから」

 村川監督は2014年に山形県でホールを開設した。松田優作夫人の松田美由紀のライブも開かれている。

 

村川「優作が亡くなって去年でもう三十三回忌です。去年の暮れに築地本願寺でやりました。美由紀と優作を最初に引き合わせたのは私なんです。前の奥さんがいたんですけど、離婚にも関わり、結婚にも関わり、その後の作品にも(笑)。いま前の奥さんとできた子どもさんも立派に巣立っています。三十三回忌とは別に、美由紀は歌い手としても素敵ですから、私が山形に小さなホールを立てて、リサイタルをしようと。

 いままでつくった映画とテレビ400本以上も4Kにしました。倉本聰さん、舛田利雄さん、工藤さん、私とか立派な…自分は立派ではないですが(一同笑)綺麗になりましたので」

 今回上京してきたのは、新作テレビドラマ(『西村京太郎トラベルミステリー』シリーズ)のロケハンのためだという。

 

村川「急遽またやることになりました。

 こうやって映画を好きな方に見ていただけるというのは、幸せをひしひしと感じております。映画を愛してくださるコアな方々がいるから、私も創作意欲を湧かせていただいています。これからもよろしくお願いします(拍手)」