神経質な夫(神足裕司)とセックスレスがつづく主人公・りん子(黒沢あすか)は、ストーカー(塚本晋也)につきまとわれるようになった。やがてりん子は、自らも意識していなかった本当の自分に目ざめていく。
塚本晋也監督『六月の蛇』(2002)は、モノクロ映像でスリリングに描かれるサスペンスの秀作。それまでの『鉄男』(1989)や『ヒルコ 妖怪ハンター』(1991)などの塚本監督の作品歴からは異色に感じられる。イタリアのヴェネツィア映画祭では日本に先がけて公開された。
6月に池袋にてリバイバル上映と塚本晋也・黒沢あすか両氏のトークがあった(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
塚本「20周年記念で上映していただけませんかと劇場さんにおそるおそる尋ねたら、わりと多くの劇場さんが手を挙げてくださって。ぼくもいまいっしょに見てたんですけど、黒沢さんが素晴らしくてひれ伏したくなりました」
黒沢「(笑)私ははずかしくて。20年経ってこの作品を見ると、何てことをスクリーンに刻んだんだろうって(笑)」
【企画と構想】
塚本「この『六月の蛇』はもっと前から撮りたかった映画で、毎年梅雨の季節が来る度にそろそろつくりたいと思うんですが今年もつくれなかったなと。そんな年を繰り返していて、昔からあたためていた企画なんですけど。最初はエロティック・サスペンスというような、ぼくが中学生で見たSMマガジンみたいな。だんだん年齢が40歳くらいになって、自分も結婚して子どもができて。母親が弱くなり始めて、自分の妻が子どもを育ててるの見て、エロティック・サスペンスでは済まされないという気持ちが。最初に考えてたのとは違う、女性への敬意というか、そういう思いが湧き上がって。
自分ではテーマがあって映画をつくるわけじゃないんですけど『鉄男』や『鉄男Ⅱ』(1993)はSFを通していま自分が描けるのは何だろうって考えて。映画祭などで評論家の方に説明されて逆輸入的に決めていくんですが「都市と人間の関係がテーマだね」って言われて、そうか自分にもテーマがあるんだと気づいて、意識的に考えたのが『東京フィスト』(1995)。『バレット・バレエ』(2000)では中年に差しかかったので、ひとつ下の世代との戦争を。そこで都市みたいなものは描き終わった気持ちがあって。そこまではやんちゃな映画でしたけど、結婚もしたりして周りの見方が変わってきたというか。都市をひっくるめての自然に目が行くようになった。
最初はもっとサスペンスタッチだったんですけど。ぼく、女性にあこがれが強くあって、若いときはもう1回生まれるなら女性がいいなって。いまは思わなくなってきちゃったんですけど」
【キャスティング】
黒沢「台本がバラ刷りの状態で黒いクリップで留めてあったのをマネージャーからもらって、読み終わるまでの間にやりたいと。誰にも渡したくないって思いました。当時私は27歳で、結婚して実家に出戻っていて、父から30歳までに身を立てろって言われたんです。「ひとり息子とお前のことは面倒見るから何とかしろ」って。息子が幼稚園に入るころに、この稼ぎでは行かせられない。何とかしなきゃいけなくて、当時住んでいた藤沢市のヘルパーの資格を取るために、講習を受けて。老人保健施設への就職も決まっていて、来週からシフトも組まれていて「ありがとうございます」って言った帰りに、マネージャーから塚本監督の新作のオーディションどう?って言われて。そのときに直感でいけるかもしれないって思ったんです。老人保健施設に戻って「すみません、先ほど頭こすりつけてお願いしたのに撤回させてください」って。そのときに寮長さんが苦笑いされながら「頑張ってください」って背中を押してくださったんですね。ゼロになった収入から巻き返さなきゃって思いがあって、あの当時は自分の中に真っ赤な炎がぐらぐら煮立ってましたね。
4つ上の兄が『鉄男』に夢中になっていて、何故か夜遅くなって親も私も寝静まってから見てたんですね」
塚本「やばい映画(笑)」
黒沢「私もお手洗いに起きて、兄ちゃん何をしてるんだろうと思ったら兄が体育座りをしてじーっと見てる。そのときの映像が頭にこびりついていて、お腹のあたりがむずむずしてぴしっと扉を閉めました(一同笑)。『鉄男』を完全な形では見てないんです」(つづく)
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