私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

満田かずほ監督 × 江村奈美 トークショー レポート・『マイティジャック』『戦え!マイティジャック』(1)

f:id:namerukarada:20151212194431j:plain

 円谷プロダクションにて『ウルトラマン』(1966)や『ウルトラセブン』(1967)など初期のウルトラシリーズの名エピソードを手がけ、『セブン』では名作の誉れ高い最終回「史上最大の侵略」を撮った満田かずほ監督。ほかにも『快獣ブースカ』(1966)や『ウルトラマン80』(1980)の監督、『ウルトラマンティガ』(1996)の企画などを務め、長年に渡ってウルトラシリーズを支えた。

 満田監督は『ウルトラセブン』と同時期に『マイティジャック』(1968)と『戦え!マイティジャック』(1968)にも登板している。『マイティジャック』は万能戦艦・マイティジャックの活躍を描くSFスパイアクションで、破格の制作費を投じて大人向けの特撮ドラマを目指し並々ならぬ意欲でもって送り出された作品だが視聴率は低迷。3か月で1時間枠から30分に短縮され、『戦え!マイティジャック』と改題されてキャストも変更された。

 満田監督は今年で監督生活50年を迎え、それを記念して11月に横浜市内で満田監督と『戦え!』にて江村隊員役を演じた江村奈美氏のトークショーと作品上映が行われた。

 満田監督は強面で「30分愉しんでいただきたいってそれだけ」とクールだが、質問には考えて答えるような慎重さも伺えた。

 江村氏は舞台を経て『戦え!』の役名を自身の芸名とした。オムニバスシリーズの『恐怖劇場アンバランス』(1973)の満田監督作品などに出演後に引退。近年は介護の仕事をされているという(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます)。

 

満田「50年も経ってしまったかと。後半はあまり仕事していなかったので、50年やりつづけたわけじゃない。むしろ50年前にデビューしたんだなと。(お気に入りの作品はなく)どれも同じ。子ども3人いるけど、誰がいちばんかわいいって訊かれるようなもので。」

江原「なつかしい気持ちでいっぱいですね。私は世話の焼ける新人で当時19歳でした。監督、ありがとうございました」

満田「ここが横浜だからじゃないけど、中華まんみたいでかわいかった(笑)」

 

 司会の友井健人氏によると、満田氏が1991年に「宇宙船」誌に連載した回想録でも江原氏のことを「中華まんじゅうみたい」と書いていたという。

 

【『マイティジャック』】

 満田監督は『マイティジャック』の第1話「パリに消えた男」を演出。

 

満田「『マイティジャック』の企画の始まりはよく判らない。『ウルトラセブン』をやってたから。『セブン』の最終話は、もう二度とウルトラシリーズはできないと思って撮ってた。(『マイティジャック』の)放送第1話は私が演出したけど。その第1話の前に3話くらい出来上がっていたんじゃないかな。第1話は人物紹介をやらなきゃいけないから気を遣う。

 第1話のロケへ行って、帰りにマイクロバスがひっくり返った。田んぼに横倒し。スタッフが11人乗っててジャックでした(一同笑)。ドアが上になったから、そこから出てバスと電車で帰ってきた。みんなスタッフだったから、ひとり病院に行ってそいつがOKだったらみんな大丈夫だろうと。携帯もなくて、制作担当が100メートル先に公衆電話へ行って「バスがひっくり返りました」って。東京に帰ったら、円谷英二監督が「大丈夫だったのか?」って。オーバーに伝わったらしいんだよね」

 

 隊長役には二谷英明が起用された。副長は南廣が演じ、隊員役には二瓶正也、久保菜穂子、春日章良、天本英世などが配された。

 

満田「二谷さんと南さんがいて、撮影は大変。衣装合わせで二谷さんが新しくつくってくれって言うと、南さんも「私も」と。だから(以後は)ふたりを同じ時間に呼ぶなって(一同笑)。ひとりが撮ってるときは「お休みください」って言うと、ひとりは控え室で休むんじゃなくて、じっと撮影を見てる。仲悪くはないけど。

 二瓶ちゃんとは『ウルトラマン』でもいっしょにやってるから「こうやって」っていろいろ注文すると、二谷さんが「私にも注文つけてください」って。大御所だから言わなくても大丈夫だったんだけど。

 (無国籍感は)そういうふうにしよう、と。007のころだったから。007はまだそう何本もないころじゃなかった? ぼくが見てたのは『007 危機一発』(1964)だけかな。ぼくらだったら、あの予算で5、6本つくれるな、贅沢だなって。『スパイ大作戦』もそんなに見てない。

 企画のことはよく判らない。(円谷プロ)企画室のメンバーが3人くらいいたんで、金城(金城哲夫)だけが書いたんじゃないんじゃないかな。

 視聴率は思ったより…。プロ野球のナイターが視聴率よかった時代なんで、あるとそっちにとられちゃう。仕様がないよね、こっちも野球好きだったし(笑)。

 26本つくるつもりだったから、それを意識してレギュラーのセットもつくっていたから、だから30分にして埋め合わせしましょう、と。

 『マイティ』は打ち切りでお金どうしようって。使っちゃってるからね。それは監督の役目じゃないから、プロデューサーもいるし。(『戦え!』を)やらしてもらえたのはよかった。でも裏が『巨人の星』でどうしようもない。『マイティ』も『戦え!』も巨人にやられた(一同笑)」(つづく) 

 

【関連記事】なべおさみ × 満田かずほ トークショー レポート・『独身のスキャット』