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満田かずほ × 小中和哉 トークショー レポート・『ダイゴロウ対ゴリアス』(2)

【『ダイゴロウ対ゴリアス』について (2)】

 『ダイゴロウ対ゴリアス』(1973)は“東宝チャンピオン祭り”の枠組みでわずか10日間のみの上映だった。

 

小中「子どもだから気にしなかったけど、そうだったんですね。当時の円谷プロの認識としては、ヒットしなかったということだったんですか」

満田「多分、東宝に(権利を)売っちゃってたんじゃないかな」

小中「興収はあまり関係なくて、下請け的に発注を受けたと。東宝チャンピオン祭りの中でもオリジナルの怪獣映画は1本だけで珍しい。10周年っていう節目だから、一さんが成立させたんですかね」

満田「10周年で、映画でもテレビでもいろんなことやろうと。TBSはそんなこと関係ないけど(笑)。ビルも建てる予定があって、候補地は目黒だったんだよね。怪獣がビルを押して上が傾いてるデザインだったけど(笑)。新築したビルの中でパーティーをやって、おれたちふたりで抜け出して屋台で飲もうって一社長に言われたんだけど、一社長が亡くなって、そういう話も全部つぶれた」

小中「飯島監督や稲垣(稲垣桶三)さんからお聞きしたんですが、円谷プロ初期のメンバーがだんだん育ってきて『怪奇大作戦』(1968)でかなりメインになるけど、そこで一旦解散しちゃう。ブランクがあって『ダイゴロウ』で再結集する。技術的にそのメンバーのピークというか、合成もミニチュアもすべてきちんと完成した作品は『ダイゴロウ』かなと」

満田「仕事として愉しくやれたよね」 

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【初期ウルトラや円谷一の想い出 (2)】

 円谷一は、当初はTBSの演出家だった。

 

小中「一さんがTBSのドラマをやられて、その助監督から満田さんはスタートされてるんですね」

満田「バイトのADでね。そのころ飯島監督ともお会いしてるけど、作品についてはいない。いろんな番組につかされたけど。一さんはもう中堅どころ。弟子入りでないけど、いちばんついたディレクターだったね。当時はテレビ映画って言ってたけど“親父の会社でテレビ映画をつくるから、お前そっち行け”って言われてね。頼まれたとかじゃなくて、行けだからね(一同笑)。ただのバイトのADだったけど、面白くなってはきてたころ」

 

 満田氏が円谷プロへ来たころは、初の特撮ドラマ「WOO」が進行中だった。

 

満田「「WOO」って企画だったけど、脚本直しばっかりやってた。1964年の夏で、水飢饉で給水車が来て、水を配ってたの。円谷プロは水じゃなくてビール飲んでた。タカラビールのコマーシャルやってて、その特撮カットを請け負ってて。まだ撮り終えてませんって言って、ビールをどんどんもらった(一同笑)。現像液を冷やす冷蔵庫で冷やしてに入れて、水はないけどビールはありますと。

 「WOO」はなかなかスタートしなくて、お金がないからロケハンも電車。梶田(梶田興治)さんがひとりで、電車でロケハンに行ったらしい」

小中「(大作)映画をやってた方に、電車で行けと(笑)」

満田「(円谷プロが)オプチカルプリンターを発注しちゃって、それをTBSが引き取ってくれて、これを使えるシリーズをやろうということで急遽「アンバランス」というのが企画されたと。「WOO」は立ち消え。「アンバランス」が『ウルトラQ』になって主演の(予定だった)佐原健二もスライド」

 

 満田氏は『ウルトラQ』(1966)にて監督デビュー。

 

小中「満田さんのデビュー作(第26話「燃えろ栄光」)は、飯島監督が脚本を書かれています」

満田「その脚本は円谷一監督用だったんだけど、一さんがフランスとの合作ドラマをやってて、他の監督にもお願いできない。それで満田にやらせろと。

 飯島さんは特別で、もともと脚本やりたかった方だよね。一さんも書けたと思いますよ。書いたことあるみたいでな。服部何とかで、はったり屋っていうペンネーム」

 

 第21話「宇宙指令M774」も手がけている。

 

満田「2本持ちだから、もう1本はオリジナルでいいよということになって、これも初めての上原と組んで。でもその怪獣は実はもう用意されてるものだったね。製油所で人が海に流れて怪獣が食べるって話で、石油会社がロケさせてくれなかった。結局ダメになって、その怪獣が残ってた。

 当時は東宝の子会社だったから『ダイゴロウ』もいま(のウルトラ映画)みたいに松竹系でやるとかいうことはなかったね。『快獣ブースカ』(1966)は日テレで、まだ円谷は信用がなくて、それで東宝も制作会社として入ってる。

 いまのウルトラマン商店街は、昔は東宝通りって言ったんだよね。テレビが電気紙芝居ってバカにされた時代だから」

小中「いまでもあそこに東宝あるんですけどね(笑)」

 

 監督やスタッフには東宝とTBSと、それぞれから人材が集まった。

 

満田東宝からの監督は梶田組しかついてないけど、東宝の人とTBSからの人とで雰囲気はそんなに違わなかったね。

 『ウルトラQ』は35mmで撮ってたけど『ウルトラマン』(1966)から16mmで、カメラマンが“こんなに軽いのか!”って(笑)」

小中「機材が違いますものね」

 

 『ウルトラセブン』(1967)の最終話「史上最大の侵略(後編)」は、満田氏の代表作として知られる。

 

小中「ADから『ウルトラセブン』の最終回まで3、4年で、あっという間ですね。若手で力があると、どんどん任せてくれたんですね。カメラマンも抜擢されて、スタッフの平均年齢も若いですね」

満田「活気はあったけど、足りないのは時間。『ウルトラQ』は撮り終えてから放送が始まったけど『ウルトラマン』では追いつかれちゃって、特撮チームは2班体制でやったけどそれでも無理」

小中「それでも10周年のときは3本やってたんですから、すごい人数。自社ビル建てようかっていうのもわかりますね。

 円谷プロはぼくも後でやらせていただいたんですが、お金よりいいものをつくろうってのが前提でした」

満田「当時は、予算表があってここを5万削りませんかというのはなかった。管理職になって予算削るようになって、先輩の作品を見直すと、予算を気にしないで撮ってるね(一同笑)」 つづく

 

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