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ビューティフル ドリーマー・実相寺昭雄演出『東京幻夢』

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 ウルトラマン』(1966)や『ウルトラセブン』(1967)により知られる実相寺昭雄監督がかつて手がけた短編映画『東京幻夢』(1986)。

 普及の始まったハイビジョンの可能性を探求するべくNHK電通などによって組織されたNVS研究会は、デモンストレーション映像の演出を実相寺監督に依頼。実相寺が脚本も執筆して完成した『東京幻夢』は、デモ映像という特殊な形態であるゆえか長らく非公開であったが、2003年に火曜サスペンス劇場『青い沼の女』(1986)がDVD化される際に併録されて陽の目を見た。実相寺自身も、

 

この作品は私の色が、一番出ているものかもしれない。しかし、非公開なのが残念である」(『星の林に月の舟』〈ちくま文庫〉)

ハイビジョンを全面に使った最初の実験作だったので、台詞をあまり使わないでやりたいってことで、昔でいえば、アルベール・ラモリスがパリを撮ったものとか、ジョルジュ・フランジュがパリの地下鉄だけで撮ったという、ああいう感じで音楽だけをのせていこう。ベートーベンのクロイツェル・ソナタの一楽章を選んで、その長さとリズムに合わせてぜんぶ作ったんですよ。そこには僕が東京にもっていたイメージというのが、短かったけどかなり入ってるんです」(「東京人」1994年6月号)

 

と述懐していて、筆者もぜひ見たいと思っていた。 

 ポストモダン建築のあふれる東京。その片隅にて昔ながらの写真館を営む男(堀内正美)。谷中や根岸をさまよい、古ぼけた洋館などを撮影する男の視界に裸の女(志水季里子)が現れて、男は翻弄される。

 『東京幻夢』はわずか14分の掌編だけれども、期待に違わぬ秀作だった(私見では実相寺昭雄作品は短編のほうが面白い)。台詞は一切なく「クロイツェル・ソナタ」の流れる中の、細かいカット割りによる映像の奔流。ハイビジョンで撮られた画面は、ただただ美しい。

 いかにも80年代らしい装飾過剰な建築につづいて、古びた街並みが画面に登場する。同じ都市とは思えないほど新旧の街が併存している東京を、実相寺はフェティシュに愛した。谷中の郷愁を誘う家々のカットが矢継ぎ早につづられたかと思うと、電話ボックスに貼られたピンクチラシが突如挿入される(実相寺はピンクチラシをコレクションしていたらしい)。

 

風景は連続してない方が面白い。フッと振り返ってみるともう違う現実になっている。道を歩いてて、昭和40年代っぽい格好した小学生の男の子とすれ違ったりすると、昔の時代からワープしてきたんじゃないかとかね」(『地球はウルトラマンの星』〈ソニーマガジンズ〉)

 

 新旧入り交じる都市の非連続性を愛好する実相寺の趣向は、ハイビジョンという新しいメディアを使って昔ながらの街を切り取るという本作のコンセプトに通底しているようにも感じられる。シナリオも収録された『夜ごとの円盤』(大和書房)の対談では「セットと見間違う風景もあるはずです」と発言しているが、ということは写真館や洋館はロケなのか…。 

 主人公は、映画『歌麿 夢と知りせば』(1977)やテレビ『ウルトラQ dark fantasy』(2004)など多数の実相寺作品に登場した堀内正美。堀内の追い求める “夢の女” は、『ラブホテル』(1985)や『マルサの女』(1987)などの志水季里子。志水の起用は実相寺の要望だったという。

 男が写真館で家族写真を写そうとすると、ファインダーの中では老婆が裸の女と化していた。両親と子どもと裸の女が収まったフレームには、見ているこちらも目が点になる。男は裸の映り込んだ写真を客に渡してしまい怒られるのだが、つまり女は彼ひとりが幻視したわけではないともとれる。やがて写真館の室内に雪が降り始め、化石となった男は爆散する(『夜ごとの円盤』に収録された脚本には、爆発のくだりはない)。

 

いつしか、花吹雪に変わってゆく。

 とめどない花吹雪に」(『夜ごとの円盤』)

 

 『ウルトラセブン』の「円盤が来た」や『曼荼羅』(1971)など実相寺作品では彼岸を求める人物たちは概ね挫折するのだけれども、『東京幻夢』の主人公の最期もその系譜に属するものであろうか。うつし世はゆめ。

 

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