私の中の見えない炎

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妻もやりました・猪瀬直樹『さようならと言ってなかった わが愛 わが罪』

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 オリンピック招致に尽力し見事成し遂げながらも、すぐに5000万円の資金借用問題が浮上して辞任に追い込まれた猪瀬直樹・前東京都知事。もともとノンフィクション作家だった猪瀬氏が文筆業に戻って発表したのが、『さようならと言ってなかった わが愛 わが罪』(マガジンハウス)である。

 氏が招致のために多忙な日々を過ごしていた2013年7月に、妻・ゆり子氏は逝去。猪瀬氏はその悲しみを乗り越えて、同年9月に五輪を東京へ導いたという。惹句には、

 

二人三脚で共に生きた昭和の時代と、嵐のように過ぎた2013年を、交互に描く。

 そして明かされる、五輪招致成功の秘話、5000万円の真実、アマチュア政治家の意味……。

 

とある。

 近年の猪瀬氏の著書『突破する力』(青春出版社)や『勝ち抜く力 なぜ「チームニッポン」は五輪を招致できたのか』(PHPビジネス新書)などは聞き書きのスタイルだったらしい(この2冊はほぼほぼ全編が自慢話)。だが『さようならと言ってなかった』は著者自ら書き起こしたようで、物書き業に復帰するという意思表示なのだろう。

 遺された夫の手による愛妻本としては江藤淳『妻と私・幼年時代』(文春文庫)、新藤兼人『愛妻記』(岩波現代文庫)、『そうか、もう君はいないのか』(新潮文庫)、川本三郎『いまも、君を想う』(同)などが印象に残る。 

 『さようならと言ってなかった』は筆力だけに絞ればそれらの先行諸作に比肩するか、あるいはしのぐほどのうまさで、終盤の手前まではすらすら口当たりよく読める(手前までは)。惹句の通り、妻の余命がわずかと知らされてから出会いのころへと飛び、夫の五輪招致の奮戦(妻の闘病)と若き日々とがカットバックで描かれ、妻の死でしめくくられる。

 

どうしてそういう成り行きになったのか、いまでもはっきり説明できない。最初に眼と眼が合った瞬間、光の速度で一心同体で生きると決めた

 

 他にも「女子児童にとっては(小学校教員である)ゆり子の個性的なボブヘアと都会的なファッションセンス、夫について話すときのはにかむような表情と仕草が強い関心をそそっていた」だの、「高校生のカップル」みたいだと言われただの、ごちそうさまという感じだけれども、愛妻物語なのだからそれは別にいい。作家稼業が軌道に乗り始めて幸せだった日々や、いくつかの旅行。発達障害児の指導に従事する妻。五輪をめぐる自身の奮戦は『勝ち抜く力』と重複するのだが、自慢げな物言いは控えられ、読んでいると著者はまるでいい人ではないかと「錯覚」しそうになるけれど…。

 8割以上過ぎたところで徳洲会からの5000万円借り入れの話がようやく出てくる。猪瀬氏の指示により、借入金を貸金庫に保管したのは妻のゆり子氏だった。彼女の死後、預金通帳すらどこにあるか判らない猪瀬氏は、鍵を開けることもできなかったという。辞任のいきさつの後、会葬者への挨拶が引用され、微妙な読後感を遺して愛妻記は幕を降ろす。

 資金提供をめぐる弁明で、猪瀬氏は妻を持ち出したことでマスコミの非難を浴びた。副題に “わが罪” と冠された『さようなら』でも、やはり妻が疑惑に関与していると記される。そこまで平和だった愛妻物語は終盤でひっくり返され、読者は足払いをかけられたような気分に陥る。“わが罪” には妻も関わっていたと、しどろもどろの記者会見ならともかく、わざわざ愛妻記に記録する必要がどこにあるのだろう(堕ちるのもいっしょということか)。

 猪瀬氏の不倫スキャンダルは過去に度々報じられてきた。まずノンフィクション作家時代に、月刊誌「噂の真相」1994年3月号が猪瀬氏の不倫とその傲慢な人間性を攻撃(だがその後に「事実誤認」があったとのおわびが掲載された。それゆえか「噂の真相」の特集記事の総集編的な別冊『日本の文化人』〈噂の真相〉ではさまざまな有名人が俎上に上げられているのだが、猪瀬氏をめぐる記事は収録されていない)。

 都知事当選後には「週刊文春」2013年6月13日発売号にて猪瀬氏の別の不倫が暴かれる。当人もテレフォンセックスなどの痴態は否定しつつも、この不倫関係は事実と認めたらしい。

 数々の不倫を愉しみ、収支報告書に記載漏れがあっても、妻の収賄への関与は漏らさず記す猪瀬氏は妻を憎んでいるのだろうか(猪瀬氏が犬猿の仲だった作家の盗作をツイッターで暴露して致命傷を負わせたのは、記憶に新しい)。“いい人” づらで書き進めてきた『さようなら』のラスト間際で、氏のおそろしさは静かに噴出し、筆者はぞくりと総毛立つ。くどいほどに綿々とつづられた愛惜の情は、すべて嘘だったというのか。人間とはいかに複雑怪奇なものであるか。