【演技について】
和田「山田さんの最近の作品を見まして、若い役者さんがみんな同じトーンで話すというか、何でこんなふうになってるんだろうと」
山田「俳優さんの上手さが違ってきたのかな。ぼくがこれは上手く言えるって台詞を書いても、若い人の生理と合わなくなってきている。
ぼくは、自分の台詞は直さないでくれと言っていまして。アドリブとか語尾を変えるとかは、あってしかるべきなんですけど。書いてないことを表現したいと思ったら、それこそ演技のチャンスじゃないかって。監督にも俳優さんにも失礼ですけど、変えてしまうと自分の作品じゃないような恐れがある。
それでこなれる前に本番になってしまう。ぼくの台詞にリアリティを感じないのかな。二重性のある演技ってなくなってきましたね。「あれしていい?」「いいよ」と言っても、やだよと思っていることはいくらでもある。こういう二重性が…。私の責任もあるけど、つくり方の問題もあるかな。悩みの種ですね」
和田「ひとつの意味を表現するという芝居は…」
山田「それは昔より上手いかも判らない。でも二重の意味を見るのも、芝居の面白さですよね。失礼ながら演出の問題でもありますね」
和田「(『ふぞろいの林檎たち』〈1983〉のシナリオには)動きが細かく書かれていますよね。ぼくがシナリオ学校で教わったのは、動きは演出の領域だって」
山田「台詞だけだと伝わらないって思いがこっちにあるわけね。演出の領域に手を出しすぎかなって思うけど、そんなに専制的になろうとしているんじゃなくて判ってもらおうと。
若いときに大広間で座布団を敷きながら喋る場面があって、全部置き終わったら同時に台詞が終わってたと言われたことが(笑)」
和田「(AD時代に)先輩から聞いたのは、山田さんは(セットの)青図を書きながら台詞を書くと」
山田「若いときはそうでしたね。何畳とか、それになるべく合わせようと」
和田「先輩に言われたのは何でこんなに(連続ドラマの仕事が)大変かというと『岸辺のアルバム』(1977)のせいだと。昔のドラマはあらゆるものをスタジオのセットで撮るから、1週間で1話つくれた。セットは5台のカメラ、ロケでは1台ですから、セットはロケの5倍のスピードで撮れるんです。でも『岸辺』はロケ中心で1週間で撮りきったから、できるだろうと(笑)」
山田「(笑)『岸辺』はロケがよかったですね。和泉多摩川を八千草薫さんが歩いているあたり、セットではできない味でした。
ほんとは1週間半くらい当てるべきで、1週間では忙しすぎて二重の意味を含む作品が出にくいというか」
【木下恵介監督について】
山田先生の出世作となったのが『それぞれの秋』(1973)。“木下恵介・人間の歌シリーズ” と銘打たれ、映画監督の木下恵介氏が企画に名を連ねる。かつて山田先生は木下監督のもとで助監督を務めていた。
和田「『それぞれの秋』を最近DVDで女房と見て、爆笑してしまったんですけど。脳腫瘍の小林桂樹さんが小さいことも暴露していく。シナリオはずいぶん前に読んでいて、でも小林さんがよくて。
DVDに木下恵介監督のインタビュー収録されていて、結婚しないんですかって訊かれて映画のことを考えていたら家族のことなんてって、優しい口調でずけっと言う。山田さんと似ていると思ったんです」
山田「20代で助監督をしていて、会社に(木下組に)配属されて、インタビューされるところを見ていたので対社会的なものが身についたかもしれませんね。こういうふうに世間に対して答えるというか。
他に吉田喜重さん、篠田正浩さん、中村登さん、いろんな監督について、ある時期から木下さんの専属でした。他の監督はそれほどインタビューされないですけど、木下さんはインタビューも多いし、それを見ていましたね。何となく影響を受けてるのかな。
木下さんも怖かったですからね。「あのバカ、どこにいるんだ!」って怒鳴ったり。辞めさせられた人もいました。北九州の小倉でロケして、ぼくは新人助監督で何も判らなくて間の抜けたことをしたんですよ。カチンコ叩けないとか。それでいらいらなさっていたんですね。遠くをパトカーが走る場面で、パトカーが途中で止まっちゃって、木下さんが怒っちゃって「またあのバカか!」と。ぼくは横にいたから「ここです」って言ったら「あ」と照れくさそうに(笑)」
【最後に】
和田「司馬遼太郎さんが好きなんですけど、司馬史観のみで語られて、肝腎の面白い部分があまり語られない。若い人は価値があるから読みなさいって言われているみたいで、山田さんの作品も同じような紹介をされているような気がして、シンプルに面白いと語られないのが無念だなと」
山田「人って本当に誤解しますよね。ちゃんと正確に捉えてくれることはない。和田さんがこういうふうに読んでほしいと思っても、読者の愛読のポイントは違うかもしれません。いろんなことを言われますけど修正しようがない(笑)。
ぼくはもう終わりですけど、和田さんはもっと面白いのを書いてください」