私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

“山田太一セレクション” 刊行記念 山田太一 トークショー レポート(2)

【『想い出づくり』】

 (『想い出づくり』〈1981〉の発想のきっかけは)女は25過ぎると値が下がっちゃうっていうジョークでした。何てことを言うんだと、うちの娘はすぐ適齢期になるから、そんなこと言うやつ許せないと私憤で書いた(笑)。

 そういうセクハラみたいなことは日本ではなくなったでしょう。40になってもあきらめるなとか、そういうほうがいいか(笑)。25歳で終わりなんて言われたらたまんないし、リアリティもない。35年前はそういう25で終わりなんてギャグにして、いまはそういうのがないからいいんじゃないかって書いたら、清田(清田麻衣子)さんが読んで、いまとそのころとの違いがわかんないと。35年前は仲人さんが割といて、あることないこと言って誰かをくっつけるっていう。仲人口がうまかったから親御さんに感謝されたり。そんなのいいかって思ってしまうけど、無理やりくっつけるのが愉しみみたいなおばさんがいて。必ずしもいないほうがいいとは言えない。いまはひとりで相手を見つけて、自分で結婚しなきゃいけない。うるさく言ったり、親を説得したりする人がいない。仲人もマイナスばかりではないかなと。ひとりで決めるってのも大変だし、全部ひとりで決めたからいいってもんでもないって清田さんおっしゃって、ああそうかと。

 結婚して一生、一生じゃない人もいるけど、一生つき合う。ある意味であきらめちゃわないとつらいですね。この人は厭だから別の人ってなっても、別の人も期間が経てば飽きちゃう。人間ってほんとに大変だと思うね。ある年齢まで来たら、これから離婚するってまた大変だよね。

 (登場人物については)リサーチもしますし、人の意見も聞きます。でも『想い出づくり』では加藤健一さん、初めは2回くらいと思って出てもらったら、ものすごく面白いんですよ。だんだん膨らんできて、森昌子さんと離れられなくなって。ああいうことが連続物だとあるんですよ。全部決めないで書くわけにはいかないけど、思いがけない人が突出してくることがあるんですね。加藤健一さんは珍しいくらいよかったけど、その後はお芝居のほうに行っちゃって、お芝居も何度も見てまして素敵な芝居もいくつもありましたけど、テレビでやったらもっと面白く…。どっかでテレビは厭だと思ったんでしょうね。それはそれで、とてもいい人生ですけど。 

アフォリズムについて】 

 アフォリズムは難しいですね。ニーチェみたいに、全体としては共感できないものもあるけど魅力があるのね。矛盾もあって筋が通ってるわけではないけど、言いたいことを言っちゃう。そういうの好きだな。ニーチェ自身は矛盾してないって言うかもしれないけど(笑)。

 ヨーロッパはそういう教養がある時期からあったんでしょうね。モンテーニュも普遍性がある。最初にいいと思ったのはロシュフコー。岩波文庫から、ずっと昔から出てる。

 気の利いたことを言ってると若いときは口まねしたくなる。でも台詞の中に入れるのは要注意。あれはモンテーニュだろとか言われちゃって(笑)。『想い出づくり』でも(キルケゴールの引用は)変なやつの台詞で、真顔で言ってることとしては使ってない。

 ほんとにまいったなって台詞はヨーロッパの教養の中にありますね。品のいいのじゃないのもあるし、この人だから言えてるというのもあるけど。そんなことを言えれば簡単だよってこともありますね。いい気なもんだって、どんな台詞だってそう取られる危険性はあるけど。アフォリズムって、きちんと意味があって見解を述べるってものだけではなくて、何てことないけど人の真実を衝いてるってものも。

 人生について何か言ったりするとき、ありきたりだったらとても恥ずかしいよね。有名なものなのに、自分だけびっくりしたみたいに書いたらとても恥ずかしい。難しいですよね。『早春スケッチブック』(1983)も山崎努だから言えたようなもので、ほんとに助けを借りてるんだな、俳優さんに。 

東日本大震災を扱った3作品 (1)】

 (『キルトの家』〈2012〉では)最初は(震災)直後だから入れてくれって言われて、あの津波のすごさをどうやって入れる? 恥ずかしくて書けないよって。でも全然触れないのも変だから、他のドラマも含めて、触れてくれと(NHKは)言ってて。たまたま旅行に行って津波に遭ってとりあえず逃げたっていう駆け落ちした男女。団地を取材でうろうろひとりで歩いて、東京のある地域の老朽化した団地に行くと5階までのエレベーターがない。歳とった人が残ってるから、上の階はパスして下へ降りてきちゃう。もうじき取り壊しで、だから入居した人にどこから来たのかとか深く触れない。料金も安くて。そういうふうにして年寄りの中に若いふたりが入ってきて、老人は近所だったら津波に遭った人を助けに行きたいけど行けない。たまたま越してきた男女に代替行為としてお米持ってったり。現地へ行きたいけど行けないから、あなたたちがたまたま来たからと。そんなことを考えて書いたんです。逃げて書いたようなもので(笑)。あのすごい津波を…。ドキュメンタリーがやたらあって、傑作もたくさんありましたよ。有無を言わせない。(つづく)

 

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