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伊東四朗と三谷幸喜・『吉良ですが、なにか?』

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 今年喜寿を迎えた伊東四朗主演( “伊東四朗生誕?77周年記念” と銘打たれている)の舞台『吉良ですが、なにか?』(2014)が、討ち入りの12月14日に千秋楽を迎えた。脚本は三谷幸喜で、伊東四朗とのコンビによる舞台は、『その場しのぎの男たち』(1992)から数えて5本目である。 

 小林信彦『喜劇人に花束を』(新潮文庫)などで “最後の喜劇人” と規定される伊東四朗東京ヴォードヴィルショーの『その場しのぎの男たち』に客演したのは、伊東のファンだった三谷の希望によるという。

 『その場しのぎ』は大津事件を劇化したもので、三谷喜劇の最高傑作のひとつである。ロシア皇太子が斬りつけられ、政府の松方正義佐渡稔)と睦奥宗光(佐藤B作)らは右往左往。そこへ元老・伊藤博文伊東四朗)が現れる。

 伊東のシリアス演技と言えば映画『スパルタの海』(1983)や『ミンボーの女』(1992)、テレビ『平清盛』(2012)などに陰性の怖さが感じられて、印象に残る。だが『その場しのぎ』の伊藤博文は強面の見た目とは裏腹に意外と軽薄という役どころで、それだけでも面白いのだけれども、勝ち誇ったときにいきなりスキップを始める! 初演時の伊東はまだ50代だったのだが、筆者の見た4度目の再演(2013年)では76歳に達しており、その年齢での軽業には驚嘆するほかない。

 その後、伊東 × 三谷の舞台は『アパッチ砦の攻防』(1996)、『バッドニュース☆グッドタイミング』(2001)、『社長放浪記』(2007)とつづく(筆者は『アパッチ』と『バッドニュース』はテレビで見ていて、『社長放浪記』は未見)。特に『バッドニュース』は、喧嘩別れして絶交状態の漫才コンビ(伊東、角野卓造)のそれぞれの子ども同士(沢口靖子生瀬勝久)が結婚することになり、式がパニックに陥っていくという快篇である。伊東は他に、テレビ『竜馬におまかせ!』(1996)や『HR』(2003)、『新選組!』(2004)、映画『THE有頂天ホテル』(2006)などの三谷作品に登場。伊東自身は監督映画よりも舞台の三谷のほうが好きだと話しており(「キネマ旬報」2011年11月上旬号)舞台人としての信頼の厚さが伺える(三谷の映画は面白くないという意味でもあるけれど)。

 7年ぶりのコンビの新作舞台『吉良ですが、なにか?』では伊東四朗吉良上野介役で『その場しのぎ』以来となる実在の人物役。だが時代は現代で、吉良だけが江戸時代の扮装で、娘(馬渕英俚可瀬戸カトリーヌ福田沙紀)や医師(ラサール石井)など周縁諸人物はみな現代人という奇抜な設定になっている。

 松の廊下で斬りつけられたという吉良が病院に運び込また。駆けつける家族たち。ちなみに病院の待合室は現代のそれである(現代の場面は、実は吉良の見た夢だったことがラストで明らかに)。

 伊東とラサール石井(演出・出演)の挨拶によると、当初は討ち入りの夜の吉良上野介を描く時代劇という構想で準備していたが、故・井上ひさしが既に同様の作品を発表していたことが判り(『イヌの仇討ち』〈1988〉)舞台を現代に急遽変更したのだという。同じ喜劇作家系統である井上と三谷とは時おり張り合っていて、三谷が「逆に井上さんがこれ(引用者註:三谷作・演出の『温水夫妻』〈1999〉)を観たら悔しがるんじゃないでしょうか。だってあんなバカバカしいシーン、今さら書けないでしょ」と言えば(『仕事、三谷幸喜の』〈角川文庫〉)一方で井上は「三谷君には負けません」と宣言したことが伝えられていた(『総特集 井上ひさし やわらかく、ときに劇的に』〈河出書房新社〉)。それほど互いに意識していた井上の先行作品を、三谷が本当に知らなかったのかは怪しい気もする(中途で、井上との真っ向勝負をあきらめたのかもしれない)。 

 『その場しのぎ』の洗練された愉しさ・ばかばかしさに比して『吉良ですが』は無難に笑えるけれども、どうも食い足りない。『その場しのぎ』の重厚に見せかけた伊藤博文は見事な人物造形であったが『吉良ですが』の吉良は、ひねりがあるわけでもない。伊東はじめ役者陣は好演で安定感はあっても、展開は予想の域を出ず、過去の『その場しのぎ』や『バッドニュース』には明らかに及んでいない。やはり当初の構想を捨てて強引に仕切り直したゆえ、三谷の伸びやかな資質が発揮されなかったのだろうか。

 伊東四朗とは関係ないけれども、近年の三谷作品を見ていると時間に対する意識の低さというか、殊に終盤が冗長に感じられるケースが目立つ。『国民の映画』(2011)のヒムラー小日向文世)と執事(小林隆)のふたりのシーンや『吉良ですが』の吉良と娘婿(伊東孝明)たちのシーンなどは、やはり長い。それでも高い金を払った演劇では観客の集中度が高いから見ていられるが、映画となると『ステキな金縛り』(2011)は特にラストが退屈で、どう見ても短縮したほうが効果的に思える。

 舞台と映画とのメディアの違いなど、種々雑多なことを考えさせられる『吉良ですが』であった。

 

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