岸によって綿密に練られた犯罪計画。実行犯に指名されたみすずは、彼による特訓を経て、いよいよ三億円奪取に挑みます。奪取はあっさり成功(事実に即しているのだから当然ですね)。
中盤は、みすずと岸とが両思いだったがすれ違うという、ちょっと少女マンガみたいなシーンが。
丹念に張られた伏線が後半で回収されて、若き日の喪失感がつづられ、物語は淋しく幕を閉じます。
「少年が、少女が、何かを捨てて大人になるとしたら、それは未来や過去ではない。むしろ、彼らは未来と過去を手に入れて大人になるのだ。想い出という過去と、責任という未来を」 (中原みすず『初恋』〈新潮文庫〉)
さて、読後に誰しも気になるのが、この作品は果たしてどこまでが真実なのかということです。著者と主人公とは、同じ“中原みすず”という名前で、もちろんプロフィールは非公表。
映画版に主演した宮崎あおいさんは原作者と会談して、この作品はきっと実話でこの人が犯人だと感じたとインタビューで話しています。もちろん発言は映画の宣伝のためでもあるので、その点は割り引いて考えるべきですが。
筆者の判断としては、おそらく6割くらいがフィクションなのではないか、というところです。
長い時間が経過していますから、過去の出来事は書き手の中で調和へ向かい、事実が無意識的に(あるいは意識的に)整理されてしまうのは仕方がないとも言えます。 その意味では、自伝や回顧録は事実よりも物語性が強くなっていると決めてかかるべきでしょう。
ただし『初恋』にただようのは、時間が経ったゆえに脚色されたというよりも、書き手の願いがそのまま投影された印象なのです。この点はなかなかうまく言語化できないのですが…。
もしも自分が、三億円事件の首謀者と恋愛関係だったら。そんな書き手の願望が、この物語を書かせたのではないでしょうか。
「幼き日の寂寥感とは異質の孤独が、いつまでもいつまでも私を責めた。そしていま、またその苦しみから逃れるかのように、記憶さえもが私のなかで塗り替えられようとしている」 (同)
フィクションだと思う6割の部分が、みすずが実行犯だったり、恋愛関係だったりする部分ですが、事実に近いと思われる残りの4割。それは、著者が三億円事件に関与していたという部分です。濃厚に匂う1960年代の香り。著者が三億円事件の関係者である点は、本当のように思えるのです。この作品の縁取りの部分は、妙にリアル。自分の知る真相をあえて直裁には書かずに、フィクションに「塗り替え」て提出したのでは…。
暴露ものみたいな内容を期待した人はがっかりするかもしれません。でも、フィクションを交えなければ、人生を生きていくのはちょっと苦しい。著者の、そんなひそかなメッセージを感じてしまうのです。