私の中の見えない炎

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ロスト パラダイスの夏・『失楽園』の映画とドラマ(2)

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承前小林信彦は「これはもう、パロディ的邪劇であり、考え方によっては、ずいぶん高級な遊びと見えなくもない」とドラマ版『失楽園』(1997)を総括(『コラムは誘う』〈新潮文庫〉)。

 官能ロマンス的な原作小説は、奇人たちのいがみ合いに延々と濡れ場が差し挟まれるという際物じみたトンデモドラマに生まれ変わった。こうなるともはや性的に興奮するどころではなく、盛夏の夜に固唾を呑んでクレージーな展開を見守っていた記憶がある。のちに評論家の宇野常寛も「ドラマ版『失楽園』のあたりから、いや、もっと前から中島丈博がいろんな意味でおかしくなっていたことにファンは気づいていたはずだ」と評しており、インパクトは大きかった(「PLANETS」Vol.5)。

 脚本の中島は「渡辺淳一さんなんかは、いままでいろんな人とやったけど中島さんとやったのがいちばんおもしろかったと言ってくれてるんで、僕に対する信頼はあるんですよね」と豪語(『原作と同じじゃなきゃダメですか?』〈シナリオ作家教会〉)。原作の渡辺も兜を脱ぐ?出来映えだったということだろう。

 ただし裏側ではトラブルが起きていたのを月刊誌が報じている。

 

「実は、演出家の深町幸男が直前になって降りてしまったんですよ」(日本テレビ局員)

 深町は「夢千代日記」「花へんろ」など、多くの話題作・ヒット作を世に送り続けているベテラン演出家。それほどの人物であるから、あのマスコミ陣が200人以上も集まった制作発表の際に配られた資料に、深町の名前は堂々たる位置に記される予定だった、という。

「凛子役が川島なお美と通達があったとき、中でも深町さんは猛反対をしたんです。川島なお美では凛子のイメージがブチ壊しだと。制作の周囲の人間が「私たちも合わないと思いますが、原作者の渡辺さんからの直々のお達しだから」となだめたんですが、深町さんは「それなら自分が直接申し立てる」と、渡辺さんに直談判しようとしたらしいんです。深町さんは以前渡辺さんの作品を演出したことがあって、二人の仲は悪くなかった。当然渡辺さんは深町さんの申し立てに耳を貸そうとしなかったようで、二人は言い合いになったらしい。それならと、深町さんが自分から降りた形になったんですよ」(制作関係者)

 結局、演出は映画監督の加藤彰と花堂純次の二人体制になったという。

 なんともムチャクチャな渡辺の強権ぶりではないか」(「噂の真相」1997年9月号)

 

 川島なお美の起用は渡辺淳一の横車だったらしい。『失楽園』のプロデューサーは、原作権の獲得が得意だったという剛腕・近藤晋。近藤と深町幸男は『シャツの店』(1986)や『夢に見た日々』(1989)など多数の作品で組んでいた。中には渡辺原作や中島脚本のものもあり、深町が『失楽園』に登板したとしても何ら不思議はないのだけれども、情感あふれる深町の演出タッチはこの「邪劇」にそぐわないような気もする。『OL日記 濡れた札束』(1974)など日活ロマンポルノの名手として知られる加藤彰の演出で結果的に正解だったのではなかろうか。

 渡辺と川島の関係はその後もしばらく継続したようで、「噂の真相」は1998年10月号などで度々ふたりの密会を追跡した。

 ドラマ版は1997年9月22日に最終回を迎え、足かけ半年に渡って狂い咲いた『失楽園』バブルは一挙に収束に向かう。筆者の目には夏の終わりとともにギラギラしたブームが落ち着いたように映り、秋風の吹くころには祭りのあとの虚無が感じられた。

 20年以上の歳月が流れて渡辺淳一森田芳光川島なお美南田洋子、加藤彰、近藤晋、深町幸男らは鬼籍に入った。野心を抱いて “失楽園” という巨大な利権、いや磁場に参集した強烈な個性の持ち主たち。過ぎ去った夏の日の残影のように、つわものどもが夢の跡なのだった。