閑職に追いやられて虚無感を覚える50代の久木は、年下の書道教師・凛子に魅せられた。家族がいる身でありながら不倫の愛にのめりこんだふたりは、情交を重ねる。
1997年に一大ブームになった、渡辺淳一『失楽園』(講談社文庫)。日本経済新聞に官能場面の多い小説を連載するというのは渡辺作品恒例の “怪挙” であるそうで、佐高信『タレント文化人100人斬り』〈現代教養文庫〉によると日経で連載を読んだお偉方たちは朝から秘書など周囲の女性に邪な視線を浴びせたというが、やはり『失楽園』の濡れ場のしつこさは群を抜いていた。中学生の筆者もただのエロ目的で上下巻の単行本を買いに走った。2月ごろの冬の日だったけれども、その年の早春から夏にかけて『失楽園』ブームが勃発。筆者の記憶に強い残像を刻んでいる。
記憶で書いてしまうと『失楽園』の原作小説は主人公の中年男と不倫相手の書道講師の女性との性交が延々と描かれ、その間に主人公の視点から “社会と性” にまつわる考察(渡辺の社会時評『風のように』シリーズ〈講談社文庫〉を彷彿とさせる)が時おり挟まれるというもので、特段に優れた作品というわけでもない(胸躍らせて?ハードカバーを購入した15歳の筆者は、あまりおもしろくないので落胆)。
単行本は260万部を超えるベストセラーになったが日経連載中の時点で映画化が進行しており、原正人プロデューサーは監督に森田芳光を指名した。後年に森田は回想する。
「(原プロデューサーが)最新までの回をコピーしてファックスで送ってくれたんです。僕はそれを「やります!」と即答したんですね。僕には明確なビジョンがあったんですよ。日本の、そういう映画というのは、ある限界の画しかなかったんです。僕が考える画が実現できれば、もっとモダンに、もっと新しい映画になって、興行的に例えば『エマニエル夫人』のような女性が楽しめるポルノ映画として成功する可能性が高い」(『森田芳光組』〈キネマ旬報社〉)
「そういう映画」とは過去の渡辺原作による『ひとひらの雪』(1986)や『桜の樹の下で』(1989)などを指していると思われる(それら諸作は、出来不出来はともかく泥くさいルックであったのは否めなかった)。森田は漱石原作の『それから』(1985)をアンリアルに映画化して成功を収めており、プロデューサーの原はその線を狙っていたのかもしれない。原の述懐によれば、
「全編にわたる透明感のある映像。森田に監督を頼んで本当によかったと思いました」(『映画作家 森田芳光の世界』〈キネマ旬報社〉)
当時主演級でさまざまな作品に出演していた役所広司と黒木瞳が主役コンビに配された。
森田監督は映像テクニックを自在に駆使するつくり手で、ベッドシーンではカットによって映像のトーンを変えるなど技巧派の面目躍如という感がある。
結果的に映画版は、演出といいキャスティングといい洗練されてエロティックさは希薄で、森田のもくろみ通り渡辺淳一原作映画としては新鮮に仕上がった。だがよくも悪くも優等生の模範解答のようで物足りなさがなくもない。
映画は原が「さすがにそこまで行くとは思わなかったですよ」と述懐するほどのヒットとなった。公開から2か月をおかずに、古谷一行と川島なお美が主演する連続ドラマ版がスタートする。映画『祭りの準備』(1975)やテレビ『真珠夫人』(2002)、『牡丹と薔薇』(2004)などの中島丈博が脚色し、全編に渡って縦横無尽の改変が行われた。作家の小林信彦は新聞のコラムで的確に論じる。
「テレビの「失楽園」は、なんというか、あまりの凄さに笑ってしまうのである。
久木(古谷一行)の妻が、十朱幸代というのが、まず凄い。その娘が菅野美穂というのが只事ではない。菅野は久木の実の娘ではなく、ひそかに父を愛しているというのも凄い。(久木がリンコと知り合うプロセスには涙目の菅野美穂がからむのだが、あまりに複雑で、ここには書ききれない。)
久木は東日新聞社につとめていて、五十三歳。リンコはカルチャーセンターの書道教室の講師で、原作通りだと三十七歳。二人は恋に狂うのだが、リンコには国広富之の夫がいて、その姉さんが加賀まりこである。この辺のキャスティングの濃さは冗談としか思えない。
しかも——しかも、である。リンコの母親は南田洋子であり、「男に狂うなんて、十九や二十の生娘じゃあるまいし」と、凄い言葉でリンコを叱るのである。(いまどき、キムスメなんて言うか?)
さらに——ここが凄いのだが——久木に忠告する友人は、あのみのもんたであり、正気にかえれと説教するみのもんたに向かって、病床の古谷一行いわく、「おまえ、よくしゃべるなあ!」」(『コラムは誘う』〈新潮文庫〉)(つづく)