岐阜に大阪の暴力団が鉄砲玉の川島(小池朝雄)を送り込んできて武(菅原文太)、邦夫(伊吹吾郎)、宏(渡瀬恒彦)の三兄弟は動揺する。宏にいつも発破をかけられている信男(荒木一郎)は花売り娘(早乙女ゆう)に恋するが、彼女は川島に惹かれていた。
野上龍雄脚本 × 中島貞夫監督『現代やくざ 血桜三兄弟』(1971)は地方の暴力団抗争をスリリングに描いた力作。2023年6月にリバイバル上映と中島丈博氏のトークがあり、脚本の野上などについて語られた。聞き手は井上淳一氏が務める(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
【『血桜三兄弟』について】
井上「東映の『現代やくざ』シリーズは5本目なんですけど、ここで大きく変わって実録ふう、『仁義なき戦い』(1973)ふうになります。6作目は深作(深作欣二)さん監督の『現代やくざ 人斬り与太』(1972)です」
中島「野上さんのシナリオでは兄弟らしさってのがあまり感じられなかった。だけど映画はやや雰囲気が出てた。おっかさんか何か出したほうが兄弟だと判るけどと思いながらシナリオ読んだんだけど。映画はシナリオを変えてるわけじゃないけど、実物の役者さんが芝居やってるから兄弟らしさは出てたかな。もうちょっと血のつながりのどうしようもなさみたいなものが、あったほうがいいかなという気はしましたね。ぼくなんか批判がましいことを言える柄じゃないですけど。
渡瀬がこんなにいい出来だとは思わなかった。大体、好きな役者さんじゃなかったけど(一同笑)このころはよかったね。なかなかやってるじゃない?
(『血桜三兄弟』は96分だが)この内容でたっぷり書いたら2時間くらいかかりますよ。シェイプされてると思うし、ぼくだったらこの兄弟関係を深めたいと思うからおふくろを出したりすると思うけど。最後に突っ込むときの血の騒ぎを強調するために清川虹子みたいなおふくろを(一同笑)。そういうことを書かないっていう潔いところが野上さんにはあったんじゃないですか」
井上「よくなる直しを一度もしたことがないと野上さんは言ってました。すべては短くするため」
中島「そりゃそうよ、直してよくなることはありませんよ。監督直しにしてもプロデューサー直しにしても余計なことなんですよ。師匠(橋本忍)も言ってた。「直したらみんな悪くなる」って(笑)。役者がこんなことできないとか言ってくると仕方ない。渡瀬恒彦なんか大河ドラマ(『炎立つ』〈1993〉)でひどかったよ。勝手に台詞をこしらえて喋ってましたね」
『血桜三兄弟』の中島貞夫監督はこの上映の直前に逝去。中島丈博先生とは『続大奥(秘)物語』(1967)で組んだ。
中島「中島貞夫さんのご冥福をお祈りします。ぼくは「中島です」って最初に挨拶して「中島貞夫じゃなくてごめんなさい」って言ったんだけど。『続大奥(秘)物語』を1本だけやりました。ぼくの兄弟子の国弘威雄に来てくれって呼ばれてね。「ぼくは女を書くのが苦手だから島ちゃん頼むよ」って。翁長(翁長孝雄)って色の黒いプロデューサーが来て「何でこんな奴連れてきて」とか言うんだよ、ぼくの目の前で(笑)。ムカっとしたんだけど、国弘さんは何も言わない。すると中島貞夫さんが「翁長さん、やめてください。そんなこと言うもんじゃないですよ」ってかばってくれた。仕事も上手くいきまして。前(『大奥(秘)物語』〈1967〉)の主役は佐久間良子で続は小川知子。ちょっと見劣りするからね(一同笑)。
(その後に映画・テレビでつづく)大奥ものの元祖ですね。ただ気概なんてなかった。でも東映ってさ、意外に調べ物をするのね。こんな映画でも(一同笑)。娯楽映画でも文献調査を結構しましたね。
ぼくの書くものと貞夫さんとは路線が違うからなあ、仕事をしたいと思っても…。トラック野郎(『トラック野郎 故郷特急便』〈1979〉)を鈴木則文とやって、東映は2本きりか。
寒くって。中島貞夫さんとぼく、同い歳なんだけど歳とると寒いね(一同笑)」
【野上龍雄の想い出 (1)】
中島「国弘さんとぼくは(橋本忍の)兄弟弟子で、くっついて歩いてるうちに野上さんとかと自然に知り合ったんだね。
(1960年ごろに)学園紛争が流行っちゃって、シナリオ研究所に飛び火しちゃって、研究生たちがわあわあ騒ぎ出した。おれなんか研究所の第1期生なんだけど、学生運動まがいのことやって。前線に出てくれって言われて、団体交渉に臨んだ。向こうの言うことを「判った」って全部飲んじゃった。向こうも満足して、作家協会の中堅どころの馬場(馬場当)さん、山内久さんは「中島や野上はどうやって相手を手なずけたんだ?」って言うから「ただ飲んだだけですよ」って言ったら怒っちゃった(一同笑)。新藤(新藤兼人)さんも怒っちゃって。特に笠原良三さんが怒って、あの人は学生運動が大嫌いで「ルンペンだ」とか言ってたから。ぼくらはクビ。このままじゃ収まらないから声明文を出そうってことで、野上邸に集って声明文をこしらえる。酒飲んで捗らないけど(笑)わいわいつくって、声明を出したら協会を辞めるぞって言ってたのに、ほんとに辞めたのはおれだけ。他の奴らは約束破ってさ、のうのうと教会にいるんだよ。(会場に来られていた長田紀生氏の目の前で)長田もね(一同笑)。みんな鈴木尚之さんに(辞めるなと)止められたんだね。
昭和47年に突然、野上さんから共作せんかいって話が来て、どっかの旅館に入ったんだ。1か月以上、いい思いをしました。昼間は真面目に仕事して、夜になると飲む。でも野上さんはがっかりしたと思います。こいつ使えないなって当てはずれ(一同笑)。(その脚本を読み直すと)野上さんのベースで、これはおれが書いた台詞だってのはところどころあるんだけど。敵わないですね、こういう喜劇の娯楽映画になると。ぼくはそういう素地がないから(笑)。渡邊祐介が絡んでいるから、祐介さんのアイディアも入ってると思いますね」(つづく)