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山田太一 トークショー レポート・『今朝の秋』(1)

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 ユーロスペースにて、脚本家の山田太一先生のトークショーがあり、代表作のひとつである『今朝の秋』(1987)が上映された。

 蓼科でひとり暮らしの老人(笠智衆)。その息子(杉浦直樹)は、54歳にして死病に冒され、妻(倍賞美津子)とも冷え切っていた。

 故・笠智衆を敬愛する山田先生は、『ながらえば』(1982)や『冬構え』(1985)などでも主演に起用しており、その笠 × 山田シリーズの中でも『今朝の秋』は最高傑作と言える出来栄えである。山田先生は話がないドラマ、と言われているけれども、登場人物が次々現れる巧みな構成と人物像の面白さで飽きさせない(救いのなさも群を抜いているが…)。

 深町幸男の演出、笠や杉浦、倍賞、杉村春子小津安二郎監督の映画『東京物語』〈1954〉では笠と父娘役で、今回は元夫婦役)、樹木希林などの役者陣、武満徹の音楽も申し分ない。今回見直していて、笑ってしまうところもあるけれども、どうしてここで、というシーンでも笑いが起きていた(?)。

 上映後のトークでは、自作についてとシナリオライターに向けての心構え?が語られた。聞き手は、朝日新聞の石飛徳樹氏が務める(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りなので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 

【『今朝の秋』】

 テンポが遅くていらいらした人もいたかもしれないけど(笑)、この作品は反時代的です。ぼくの作品の中でも、テンポが遅いですね。でも俳優さんがとてもいいですし、杉浦さんの死ぬような目、倍賞美津子さん、樹木希林さん、みんな考えてやってくださっている。杉村春子さんとぼくは初めて仕事して、とてもよかったですね。飲み屋のおかみさんという味で、笠さんと杉村さんが夫婦ならうまくいかないだろうなって(一同笑)。演出の深町さんの(木々や川などの)自然の撮り方もね。話はあまりなくても、見ていられる。見ていられると言ってもこっちがそう思ってるだけかもしれないけど(笑)、そういうドラマがなくなってしまいましたね。

 ぼくの作品はあまり話がない。この前、中井貴一さんがぼくの台詞の大半は無駄だって。もちろん面と向かってけなしはしませんけど(笑)。無駄なのがいい。必要なことだけ言っていると知的になるけど、知性にあまり変わりはないから似てしまいますね。だから知性を抑制する、大した知性でもないけど(笑)。少しの話で2時間を保たせようとすると技術がいりますね。

 

 (20代の頃に)松竹で助監督をしていて、下っ端だから俳優さんを呼びに行く。すると笠さんはすごく姿のいい人で、近づいていくだけでもドキドキして、“お待たせしました、出番です”言うと、“はい”と。助監督だから、いずれ監督になったら、笠さん主役のものをって思ってたんですよ。

 老人の主役は企画が通りませんが、笠さんだから通った。それで、老人ものを50代で書くことになってしまって。いま振り返ると青いところがありますけど、やってよかったな。

 笠さんは、『今朝の秋』のときはすわっていても苦痛なくらいの状態で無理してくださって、蓼科で休むとおっしゃってるのに蓼科で撮るからって言って、結局NHKの渋谷のスタジオにも来ていただきました。

 

 テレビは、大袈裟じゃないところがいいと思っちゃう。チャイエフスキーというアメリカの初期のシナリオライターが脚本集のあとがきに、テレビドラマは王さまが誰に殺されたかを書くより、隣の肉屋の親父はどうしてあの奥さんと結婚したかのほうが書きやすい、と。当時、ぼくは興奮して、これだ!と。『今朝の秋』も単純な話で、そういうのを軽んじないで書く。小さい話で切り口が凡庸でないもの。『今朝の秋』では、家族全員の心は通っていない。でも最期だから芝居を、家族団欒の芝居をしようと。倍賞さんの娘が、心が離れてるんだからほっとくってもんじゃないでしょって言う。(ラストシーンの)笠さんと杉村さんも、心が通っていない。だから辛(から)い話なんですけど、そういうのを書きたかったんですね。

【過去の自作について (1)】

 松竹ヌーベルヴァーグ大島渚さんや吉田喜重さんが(松竹時代の)先輩です。偉い人も、これからは若いやつにやらせないと松竹もあぶないと。それで映画ができたら、全編議論しているのとかよく判らないもので、やっぱりこけるんですね。それでぼくらのときは、監督には何も権利がない。ストーリーもキャスティングも重役が決めて、締めつけの時代でした。同期の前田陽一さんは通ったけど、全く向いてない作品でやる気がなくて、壊れた企画もあります。

 すると木下恵介さんがだんだん撮れなくなってきて、そこへTBSの人が(テレビをやらないかと)勧誘に来たんですね。木下さんは松竹との専属契約を断って、ぼくに「きみ来るか」って。松竹も希望がなさそうですから、行きますと。

 (『記念樹』〈1966〉は)30分ものを毎週短編でやる。毎週キャストも違うし話も違う。それが当たっちゃって、私も20本以上、木下さん19本お書きになって。その枠が成功して、連続をオリジナルでやることになって、きみ何をやってもいい、キャスティングも任せるからと言われて、みなさんご存知ないと思いますが『それぞれの秋』(1973)を書いたんですけど。それで賞ももらったり、これで食っていけるな。もう子どももいましたから、やっとひと息って。(つづく)

 

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