私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山田太一 トークショー レポート・『岸辺のアルバム』『獅子の時代』『男たちの旅路』『ながらえば』(2)

【過去の自作について (2)】

 (『岸辺のアルバム』〈1977〉)外からはいいご家庭ですねって言われても、内部は壊れている。洪水も3.11も、日本では災害は多くあることなんですけど、それをドラマにした人はあまりいなかった。ある新聞社の人が小説書きませんかって言ってくださって、書いたこともないのに日刊紙になんて書けませんよって言ったら、あなたは書けますって催眠術かけられて(一同笑)。

 その新聞社の人と、家が流された人たちに集まっていただいて、もう新しい家ができていましたけど。後であのうちがモデルだと言われて迷惑したらしくて、謝りました。小説にしたのは、企画が通らないと思ったんです。暗い話かなって。小説書いたことで、全体がそんなに陰惨でないと判ったから、TBSが声かけてくれて。やってみるもんですね。

 大河ドラマ(『獅子の時代』〈1980〉)はこんなもの二度とできないと思いましたけど(笑)。現実の人なら、事実が縛りにもなるけどよすがにもなる。でも架空の主人公で、しかも明治から西南戦争となると出来事の調べがついていて。架空の人物を滑り込ませるとなると誰かの業績をパクらなきゃいけない。これが困りましたね。

 明治維新のマイナスを書こうとしたので陰惨で、大河で何やってるんだって言われて(笑)。でも当時のスタッフがひるまなかったので。

 (主演の)菅原文太さんは、うまい人ではないですけど、あの柄。プロデューサーが引っ張り出したんですね。会津藩には架空の人物をひとり、負け組の薩摩藩には加藤剛さん。文太さんは福島の出身ですから、訛りもちょうどいい。やくざ映画に出ておられるからイメージもあるし、文太さんで助かりましたね。 

 (『輝きたいの』〈1984〉)あれは大河の後で、たまにはぼくのにも出てくださいと文太さんにお願いしました。『レイジング・ブル』(1980)とかボクシング映画は覚えてますけど、たまたまテレビで女子プロレスの中継を見て「あ、これいいな」って思ったんです。女子プロレスの興行にくっついて歩いて、しごかれているのとかも見せてもらって。人の記憶に残る作品ではないですけど。

 『男たちの旅路』(1976〜82)では、鶴田浩二さんの「傷だらけの人生」をNHKが放送禁止にしていて、鶴田さんを主役にすれば何でもいいと(笑)。鶴田さんの家に、近藤晋さん(プロデューサー)とふたりで行きまして。鶴田さんは初めから終わりまで、特攻隊の話をする。見送らなきゃいけないせつなさとか…。でも鶴田さんは特攻隊ではなかった。東映の『雲ながるる果てに』(1953)だったか、役をやられて憑依されちゃったんですね。

 「脚本を重んじよ」とぶつぶつ言ってたんですが。“松本清張シリーズ” になってしまうんで。そのころのNHKドラマ部長で会長にもなられて、昨年亡くなられた川口幹夫さんが脚本家の名前をつけたシリーズをやる、お前に先にやらせてやるから鶴田浩二を引っ張り出せと。

 特攻帰り(の設定)は、鶴田さんから構想しました。ぼくは、戦争であれだけたくさんの人が死んだから、自分だけは繁栄を享受すまいとする人を書こうと思いまして。とても熱心にやっていただきました。やくざの鶴田さんや若い頃の色悪もいいけど、NHK土曜ドラマではできませんので。ゴダイゴの音楽もよかったですね。 

 脚本が誰かなんて、当時は誰も気にしてなかったですよ。オリジナルで書いたんだから、新聞社の人に名前載せてくださいって。原作だったら原作者の名前が出る。でもあのころ、テレビの他に娯楽がなかったせいもあって、熱心に見てくださる方が多かった。倉本聰さん、向田邦子さん、早坂暁さんも書きたいものを書いて視聴率が取れてたんですよ。

 『ながらえば』(1982)のときはまだ笠さんも若くてお元気でした。渋谷のNHKに老人の主役で企画を出してもダメなんですよ。そうしたらNHK伊豫田静弘さんって監督が名古屋へ転勤で、うちの近所の喫茶店で会って、これから名古屋に行きますから名古屋でやりませんかと言ってくださった。笠さん主役ならやると言って(笑)名古屋なら通ったんです。笠さんはお受けくださって、言い出しっぺはいい作品にしなきゃってプレッシャーがありました。

 名古屋をあっちこっち歩いても、浮かばない。帰るとき、名古屋の駅で管内でいちばん遠いところは? と訊いたら、富山だって。それで富山へ行く話はどうかなと、富山をハンティングして考えたんです。

 笠さんは『今朝の秋』(1987)のときのような(体調面での)心配はなかったですね。

 いい俳優さんがじっくりやってくれると嬉しいですね。いまみたいなじじいじゃなかったから、てきぱき書きました。(つづく