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山田太一 × 河村雄太郎 トークショー “敗者たちの想像力 いま山田太一ドラマを再発見する” レポート(2)

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(以下は山田先生のトーク

【ドラマ作法】

 もう78ですから、こういうところに出て来ても恥じらいがない(笑)。

 (『敗者たちの想像力 脚本家 山田太一』〈岩波書店〉について)秩序だって敗者というテーマで書いてるわけではない。言われてみれば、そうかなと。女房がこの本を読んで “あなた、敗者だって”って(笑)。(自分の)基本的な姿勢として、人間はみんな敗者だと。ごはん一膳食べたいと思っているときに死んだり(笑)。

 ぼくは大きな話、大河ドラマスペシャルみたいなのは苦手。テレビ界にいると、どうしてもやらざるを得ない。この本は “スペシャルドラマだけれど小さい” と書いてくれていて、それが理想ですね。 

 ぼくは前衛に入っていけなかった。前衛の人というのは、家族から離れていますね。それで東京で名を成そうとすると、大人しいアプローチじゃだめですから。寺山(寺山修司)は才能があったけど、才能がない人もいて、ただ酒飲んで暴れたりとか。

 ミラン・クンデラの本に20世紀の文学、ドン・キホーテプルーストドストエフスキーなどの人物はみな子どもを育ててないという指摘がありました。でも、結婚もそうだけど、子どもによって人は鍛えられる。子どもはものすごい他者でしょう。

 自分では、いままでにないものを書こう書こうと思っていた。自己模倣はしないと。でも50年以上(この世界に)いると、自己模倣はしていたと思います。前衛と自分では思っていない。変わったドラマと思っていた(笑)。

 個が大事という発想は、もう行き詰まっている。ぼくは、テレビでも小説でも自分のことは書かない。私小説を書きたい気もあったけど。 

【俳優と演出家】

 ぼくの仕事は、俳優さんにおんぶにだっこみたいな(笑)。俳優さんはほんとに大事で、俳優さんをつかまえないと書けないというところがある。最近もあと1週間でクランク・インというときに、ある方が入院して亡くなられてしまった。当てて書いてるから代わりがいない。

 ぼくの年齢が上がってきたので、昔の俳優さんが死んじゃって若い人、40代くらいの人はよく判らないです。つい昔はよかった、笠智衆さんや緒形拳さんはよかったと思っちゃう。昔はオーディションが結構できたけど、いまは人気者ばかりで、そんなことをして何が愉しいんだと思いますね。

 ぼくは松竹で助監督をしていたころから、笠智衆さんが好きなのね。あの人はうまくないし、適役じゃないと変なときもある。だから適役じゃないとと思ってね。『男たちの旅路シルバーシート』(1977)のときはずっと黙ってるようにした(一同笑)。老人(が主役)だとなかなか企画が通らないんですが、でも『ながらえば』(1982)とかやらせていただいて幸せでしたね。

 演出家でも自分と合う人がいて、この演出家だったらテンポが速いからたくさん書かないと、とか。この人だったら風景を撮らせたほうがいいとか、長年つき合わないと判りません。

 【自作について】

 『岸辺のアルバム』(1977)では、何かと(家族)写真を撮って円満にいっているようにするけど、やがてそれは親父のインチキだと、国広(国広富之)くんの若者が言う。だから、『岸辺のアルバム』は写真が大事だと言ってると書いてるコラムもあったけど、そんなことはないんです。

 3.11東日本大震災)を経験した人を主人公に設定するのは、傲慢なので不可能。もっと時間が経てばいいけど。

 (山崎努主演の)『キルトの家』(2012)では(登場人物が)たまたま旅行で(震災に)関わったということにした。(主人公の)年寄りは助けたいと思っているけど、東北へ行く力はない。そういう形で描くのが、せいぜいでしたね。

 山崎さんは『早春スケッチブック』(1983)では、聞いたふうなことを言うわけですね。でも『キルト』の山崎さんは敗者のイメージで、でも彼の見方を若い人がひっくり返してくれる。それで、すれっからしの老人が最後は泣いてしまう。若い人に教えてもらうということを書きました。 

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【その他印象に残った発言】

 人間は動物のように生殖のプロセスだけでは生きていけない。意味を求めてしまうんですね。特に若いときは意味をさがしてしまうから、年をとると何も考えなくなるけど若いときは大変です。

 小説家の池澤夏樹さんが6歳までで自己形成は終わっていて、後は付けたりだと。それは極端だけど、でもちょっと納得するものも。

 浅草で10歳まで育ちました。浅草は誇り高い街だったけど、明治に薩長が入って江戸っ子は怖くてひがんだまま浅草をうろついた。でも対抗できる強さはない。薩長が来るとついお辞儀をしてしまう(笑)。情けないけど、そういうところが自分にもある。中央に行けないような。

 昔の浅草にはひやっとするような本音で喋らないところがあった。喜んでたかと思ったら、しらっとした顔をしてる。そういう怖い人もいましたよ。

 いまでも職人が好きで、中央線とかのサラリーマンや知識人は嫌いですね(笑)。高みで観念をもてあそんでいるような気がして。大学出なんて周りにひとりもいなかったですからね。

 何を分析しても、はみ出るのが人間ですね。ぼくはなるべく分析から逃げ回っているところがある。

 モンテーニュニーチェなどが語るのは断片です。ぼくは体系的なことが嫌いで、断片とか矛盾している人が好き。理路整然としているのは何か狂ってるんじゃないかって(笑)。

  

 会場は学生さんから一般の聴講者まで詰めかけて盛況。山田先生は「若い人と顔を合わせることが少ないから、こんなにたくさんの人に来ていただいて、来年あたり死ぬんじゃないかと(笑)」と言っておられた。