日本を代表する脚本家・山田太一先生はもう評価などされ尽くしているような気がしていたけれども、実は山田作品の研究書というのは少なく、ファンはやや淋しい思いをしていたものであった。だが長谷正人『敗者たちの想像力 脚本家 山田太一』(岩波書店)が刊行。山田作品を “敗者” というキーワードから読み解く作家論で、大変読みでのある著作であった。
刊行を記念して7月28日に早稲田大学文化社会研究所にてシンポジウム “敗者たちの想像力 いま山田太一ドラマを再発見する” が開催され、筆者ももちろん足を運んだ。著者の長谷正人・早稲田大学文化芸術学院教授、山田太一先生、演出家の河村雄太郎氏ら6人の方々が出席されているが、字数の都合上やむを得ず、山田・河村両氏の発言に限ってレポしたい(メモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや、整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
山田太一先生と河村雄太郎ディレクターが組まれた作品でよく知られているのは『早春スケッチブック』(1983)。
平穏に暮らすひと組のステップファミリー(岩下志麻、河原崎長一郎、鶴見辰吾、二階堂千寿)の前に突然現れたミステリアスな男(山崎努)。
「ありきたりなことを言うな。お前らは、骨の髄までありきたりだ」
長男(鶴見)の実の父親を自称する彼の出現に一家は揺れ動くが、実は彼は病に冒され、余命わずかであった。
この作品は、山崎努演じる男の存在によって「庶民を批評する」という意図でつくられたそうだが、最終回まで見ると冴えない感じに見えた平凡なお父さん(河原崎長一郎)もかっこよく映るようになる。
【『早春スケッチブック』の想い出】
『早春』第3話の上映後に「視聴率は悪かったですが、この作品で人生が変わったという人もいます」と長谷正人さんが口火を切った。
山田「視聴率が悪いってのは名誉かもしれないですね。市川(市川森一)さんの『淋しいのはお前だけじゃない』(1982)も悪かった(笑)。
このころはフジテレビ天国の時代です。連続(ドラマ)を書かないか、何書いてもいいからと言われてすごく張り切りましたね。ぼくは電車が好きなんですが、ポルノ映画の『痴漢電車』というのがあったから電車は貸さないと言われて、京王線と相鉄線だけ貸してくれて。
横浜からひと駅ずつ降りて歩いて、すると希望ヶ丘があった。なんて嘘っぽい名前、現代のいちばん薄っぺらなところが現れていると(一同笑)。で、そこを舞台にしました」
河村「当時はドラマと言えばTBSとNHK。フジはとにかく、山田太一を獲得することが至上命令でした。タイミングが良かったし、山崎努さんも他に考えられない。ディレクターとして幸運でした」
山田先生を初めてフジテレビに迎えた作品だったが、視聴率は低迷。
河村「営業の連中に廊下で会うと、にやっと笑われる(笑)。でもあのころはあまり言われませんでした。
この作品はスタッフの団結もすごくてね。岩下志麻がベッドから写真集を取り上げるシーンのために、クレーンをバラエティ班から借りてきてくれた。(クレーンを使うと)セットをばらすのも大変。でも岩下さんもスタッフも文句を言わずに待ってた。現場は張りつめていました」
山田「志麻さんは普通の奥さんもやれなくもない。やくざのおかみさんもやれる(笑)。ちょうどいいですね。
長一郎さんは(劇中で飲めない設定だが)実は結構お酒飲みで、役者さんって感じの荒れ方もなさる(笑)。でも出てきただけではいかにも普通の人なので素晴らしいですね。ぼくは長一郎さんが好きで、いろいろ出ていただきました」
河村「いい匂いで現場に来たこともありました(笑)」
山田「(平凡なお父さんの河原崎と危険な山崎との)対比は、少ししつこかったかも。いまだったらもう少しさらりとやるかな(笑)。いま書いたら相当違うドラマになりますね」
河村「大人4人(岩下、山崎、河原崎、樋口)のキャスティングは、山田さんの指定がありました。若い人はオーディションです。
彼と彼女がどうしたとか、ストーリー中心のドラマが多かった。でもこの作品では、台詞の重みを初めて実感しました。第8回の山崎さんの「偉大という言葉が似合う人生もあるんだ」とか」
山田「ぼくは寺山修司さんが(早大の)同級生で、いろいろあってこのドラマを毎週見てくれていて。打ち合わせしてても「ああ、山田のドラマの時間だ」と言ってたと。それで自分は山崎努で、ぼくは河原崎長一郎だと言い出して。ぼくとしては、おれが書いたんだから両方おれだよって(一同笑)。
この後の『ふぞろいの林檎たち』(1983)では、うちの天井桟敷の大事な子だって、高橋ひとみさんを紹介してくれて…。第1回の本読みは寺山がやってくれた。寺山は非日常を愛する人でした」(つづく)