【第3巻について (1)】
石川「第1、2巻は既に復刻されました。このセンターの仕事に携わって20年近くになるんですけれども、先日のNHKの番組の撮影で初めて貼雑年譜の現物を見ました。普段は図書館の貴重書庫に入っていまして、われわれも見ることはできません。それで手袋をするかどうかで30分揉めたんですね(笑)。貴重資料を触るとき、手袋をしてもクレームが来るし、しなくてもクレームが来る。結局、手を洗って手袋をしないで触ったんですが、資料を公開するとそういうところにデリケートに問題点が現れる。今回の公開でもわれわれが解題を書いてから公開すると、資料を独占していると言われる。研究することのはざまで、間に挟まれるような思いがします。私は貼雑年譜の3巻という戦時下の部分を担当しましたので、慎重に考えようと思いました。
乱歩が貼雑年譜の冒頭で鳥瞰図をつくっています。方眼紙に作品と生涯を書いているんですが、方眼紙は貼雑年譜のひとつの特徴ので、戦時下には町内会の図面をつくっています。どこに誰が住んでいるか、疎開していないとか克明に記録している。それから結婚式の様子をスケッチして、当日の食事とか誰がどこに座っていたかとか上から見た図で表現する。大正期に流行した考現学の影響がありありと残っています。方眼紙の縦軸と横軸をつくって、現実を再現する意欲を持っていたと思います。
もうひとつの特徴はイラストですね。乱歩が雑誌の編集をしていたときにプロの画家に混じって自分のイラストを勝手に載せてしまって、結果的に叱られて編集から降りるんですが、イラストで表現したいというのも方眼紙に現実をはめ込む欲望と重なっているんだと思うわけです。
貼雑年譜は事実を図像的に把握する、マトリックスの思想だと思います。縦軸と横軸が交錯するところに現実がある。考現学とかレタリングとかイラストによって図像化する。事象を類型化して見やすく整理保存する志向。こうした志向が自らを記録することの執着に向かっていますが、現代のエゴサーチとはぼくは違うと思います。乱歩は私自身のことが判らないという思いが強かったんじゃないか。だから外からどういう言説、批評がなされているかを整理して、私自身を知ろうとする欲望があったんじゃないか。彼の文学にある、闇を抱えた人間を愛おしいと思う姿勢と関わっていると思います。
ご存じのように、乱歩は長編小説で度々挫折する。伏線を上手く回収できなくて(短編の)「D坂の殺人事件」でも明智小五郎は被害者の女性と同級生だったんですが、その話は後半に出てこないまま終わってしまう。長編が書けない、伏線が回収できない問題は縦軸横軸に図像化して現実を捉える発想に関わってるんじゃないか。歴史性を表現することが苦手なんじゃないか。歴史というのは、いまから想起したときに過去が歪んでしまったり記憶が美しく書き換えられたりする。さまざまに変容するものなんですが、乱歩は変容を許さない。過去のできごとを現在に正確に再現することに強い意欲を持ちますので、歴史を流れとして表現することが苦手だったんじゃないか。逆に過去のできごとを現在化することには長けていて、この貼雑年譜に表現されていると思います」
石川「第3巻の特徴としては町内会の名簿、さまざまな電話番号といったものを数多く添付してあります。当時の町内会や隣組の役割がよく判る。名簿の中には平井太郎の名前と江戸川乱歩のものとがあって、公私それぞれの立場で関わっていたのが判ります。ビラやチラシも大量に添付されていて、防空体制や暮らしぶりが判る貴重な資料です。ひとりの人間が体系的に集めたものはなかなか見る機会がないんじゃないかと思います。例えば回覧で1軒1軒、判子をもらわなくてはならない。すべての家の情況を把握して判子をもらったわけですが、こうしたお知らせが大量に保存してある。軍用機献納運動のチラシとか。女子の勤労奉仕の通知からは、どういう文面で人びとが工場の労働に集められたかも判ります。大日本産業報国会の通知もあり、乱歩は大政翼賛運動に関わっていて、産業報国会が乱歩に対して講演とか研究会の出席とかを求めているわけです。本人が率先して臨んでいくというより、大勢の中で乱歩は自分が必要とされている場所に行く。戦時下で自分が何の役に立てるのかと考えて力を尽くす。イデオロギーでなく目の前で家が焼けたりする中で、自分にどんな働きができるのかを絶えず考えているのが伺えます。献納運動では目標額をつくって町内会からどれだけの資金を集められるか、とか。相当大変な仕事だと思います。そういう仕事に人嫌いと言われた乱歩が奔走しているのが、こういう紙から見えてくる。代用食のつくり方に関しては、ここまで細かく指示がなされていたのに驚きます。米とか肉とか魚の代わりに芋とか草とかどういったもので飢えを凌ぐか、それが克明に書かれています。ただ配るのではなくて、印鑑が押されていますので各家庭を回って見てもらっていたんだろうと思います。
乱歩が戦時下に気にかけていたのは福島に疎開していた奥さまとかの家族のこと、戦地に赴いていたお子さんの平井隆太郎さんのことなんですが、同時に蔵書をどうするかですね。蔵書を福島に疎開させるときの送り状があって、運賃が1万3470円。戦時中の1万円ですからとてつもない金額。空襲から本を守るというのがどれほど大きな意味を持っていたか、痛感します。
軍需工場や足尾銅山の視察やペンネームを変えての(戦時下での)執筆などについて、乱歩はコメントを書かない。隆太郎(長男の平井隆太郎)さんの入隊について貼りつけてあってもコメントが一切ない。欠落していることが浮かび上がってくる。見えてくるもうひとつの問題じゃないかなと思っています」(つづく)