【第3巻について (2)】
石川「この後の時代ですけど探偵小説会の土曜会が発足します。その案内を乱歩が手書きで書いています。新聞記事と対照化させて載せていて、自分の原稿と報道とが両側から見える。
戦後に行われた、戦争協力の調査票。乱歩が恐れていたのは、GHQによって執筆の機会が奪われることだったと思います。戦時中の内務省の検閲でほとんどの作品が出版停止処分になっていましたから、戦後に調査票を受け取って深く読み込んでいます。提出したものをカーボン紙で写しをとっているんですけど、それには戦時中にどういった働きをしたか書いています。大政翼賛会豊島支部事務長だから厭々やったんだとか、作家で日中に家にいるので引き受けざるを得なかったとか釈明しています。ぼくが強く感じるのは、容疑を逃れたいのではなくて自由にものを書きたいという乱歩の気持ちです。
戦時中のことでもうひとつだけ。乱歩は新聞などに投書して空き家をどう管理するか、残った人間が住んだり鍵を預かったりして管理したりして空き家を少なくすることを提案するわけです。戦後に「防空壕」を書きますけど(『十字路』〈光文社文庫〉所収)それに関わってくるんですが、空襲の中でどうやって生き延びるかに関してエネルギーを払ってる感じがします。また戦争末期に「国民義勇隊の構想」という記事が朝日新聞に出ます。乱歩はその記事を貼雑年譜に全文掲載して傍線を引いています。その記事の中に学者であれ軍人であれ文士あれ誰もが一兵卒として戦わなければならないと書いてあるんですね。乱歩は傍線を引いていて、戦争末期に東京にとどまるどうか、自分一兵卒として竹槍を持つべきかどうか逡巡している姿が浮かび上がってきます。最終的には福島に疎開しますけど、ギリギリのところで東京にいる人間の心情が、貼雑年譜をつくらせているのだという気がします」
【第4~6巻について】
貼雑年譜の第4~6巻(戦後の時代)は尾崎名津子氏が担当。
尾崎「私が担当したのは第4~6巻です。このあたりも面白いです。この巻は、もくじや章立てはございません。方眼紙もほぼないんですが、隆太郎(平井隆太郎)さんの結婚式ではやっぱり席次を方眼紙に書いていて、方眼紙魂は健在という感じがするんですけど(笑)。1~2巻にあったような、創作の秘密を解明するようなものもあまりない印象です。けれども面白くて、私が心惹かれたところを紹介していきたいと思います。
4~6巻の時代は「老大家」になります。貼雑年譜に貼られている記事の中で、新聞などが乱歩を「老大家」として紹介しています。乱歩の仕事がそうさせる面もあって、彼を老大家にさせる素地があったと私は思っています。例えば黒岩涙香の三十三回忌の事業を、貼雑年譜を見る限りは乱歩がプロデュースしたんじゃないかとか。乱歩自身も還暦を迎えて、生誕碑も名張にできます。4~6巻を通して本当にいろんなことをしています。
4巻は1946年から始まるんですが、そのころに警察に呼び出されます。いっしょに犯罪を推理しませんかという警察からのアプローチだったみたいなんですけど。探偵作家クラブが組織されて、この作家たちで実際の事件を推理したようです。1946年10月18日に横浜地方裁判所検事局に呼ばれて「探偵作家刑事探偵座談会」の席次と書かれています。大下宇陀児、木々高太郎もいますね。警察の人が周りを囲んでいます。帝銀事件を推理して「乱歩氏の作家的推理」と書かれています。現実世界にどんどんコミットしていくわけですね。
4~5巻は池袋の名士という感じで、豊島区の「物価監視委員会」が組織されて委員になります。乱歩、平井太郎さんは「消費者」の枠に入っていますね。職業は「著述業」。区長からの手紙が貼られていたり、裁判所に調停委員に任命されたはがき、やはり区長からの感謝状。豊島区の在住作家忘年会をやってみたり。5巻でも区からの感謝状は貼られていて、豊島区の経済懇話会のメンバーに選出されます。1950年代前半には都にも呼ばれて、都政懇談会にも入って意見を出せと言われるとか。50年代後半には都議選にもひとつ噛む。
4巻以降はおそらく通信社に依頼したであろうものも貼られているんですが、本人宛てのはがきや手紙も相変わらず張り込まれています。
当時の区長との対談では乱歩がガンガン提案しています。区長の政治力で都から金を出させるとか。犯罪は東京の中央で起きて、犯人が逃げ込むのは池袋西口飲み屋街ですとか。他に日本社会党の候補者の推薦者に、神近市子とか三角寛とかと並んでなっています。
五苔苑(ごとうえん)というところを探偵作家クラブの事務所にした記事も貼られています。記事によると、気が狂った青年が自分の家を改築してすごい建物にして、そこを引き取って事務所にしたそうです。
横溝とやった連句、隆太郎氏の結婚とか。海野十三の訃報もたくさんありますね。6巻には久生十蘭の訃報のはがきもありますが、十三のほうが多いです。
5巻ではエラリー・クイーン・コンテストがアメリカであって、日本代表として乱歩の作品が選出されました。そういう記事が掲載されています。還暦も迎えています。
テレビの講話会のご案内も貼ってありますね。テレビが本格開始の運びとなりました、と書いてあります。誘ってきたのは日本芸能連盟、その会長が正力松太郎。テレビの黎明期ですね。
還暦パーティーもあって、パーティに来た人へ出したお礼状が貼ってあります。トータルで7パターンあって、相手によって書き分けていたようで、すごく細やかですね。
またこの時期になると、探偵作家クラブがしっくりいかなくなっていると記事にあります。他に将棋の初段の免状を取ったとか。
6巻になると乱歩自身の仕事を大きくまとめる話題が出てきて、春陽堂から全集が出たり、江戸川乱歩賞が制定されたり、生誕碑ができたりします。前田という人の修士論文の審査用紙が何故か1枚貼ってあって、えっ誰?(笑) この方は英文学がご専門で論文の中でミステリーを論じていく際に、乱歩のものを根拠として論を構成していったと明記されています。初の英語圏での出版もこの時期です」(つづく)


