私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

野沢尚 インタビュー(1997)・『青い鳥』『破線のマリス』(3)

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【シナリオと小説 (2)】

 映像の人間描写って限界がありますから。例えば過去を描こうとする時に、回想形式に頼る。回想を長くやるわけにはいきませんし、ここに入れるしかないという場所も決まってるみたいなね。小説は自由。たとえて言えば、脚本の仕事は小さなパーツをジグソーパズルにはめていく作業に似てる、ただ入るパーツが1つとは限らなくて、2、3個選択肢があって、こまかく積み上げていくみたいな、そういう作業ですよね。小説はもっとディテールを書き込むのは大変なんだけど、自由はありますね。しかも脚本というのは集団作業なんで、どこか体育会系のみんなで一緒に頑張ろうみたいな雰囲気なんですね。そういうことやりたかったら脚本やればいいし、そういうのをやってて、自分1人で全て責任もちたいみたいな気分になれば小説いけばいい、みたいな。交代交代でやっていけば精神衛生上も気分良くやっていけるような気がするんですよね(笑)

 

【乱歩賞受賞作『破線のマリス』】

 過去を振り返ると、鶴橋さん鶴橋康夫監督)とやっていたときから、マスコミ報道批判の(ドラマの)『愛の世界』があって『東京ららばい』があって第3弾で考えていたストーリーが実はこれだったんですね。4年前に、ハコまで作ってて、取材もやってて、あとはゴーサインをもらえば脚本に入れるという段階でストップしたんです。それを今回小説にしようと思った。テレビの編集というもの、映像の力みたいなことを描いてみたかったんですね。当時はミステリー的な要素は少なかったんですけど、今回4年ぶりにストーリーを読み直して、たぶん4年間の間に醱酵してたものがあったんですね。ミステリー的要素だとか郵政省がらみのこととか取り入れてリニューアルしました

 

 (取材で大変なのは)資料を読み込むことぐらいですね。本を山のように積んでラインマーカーつけて、付箋つけて。あと女性編集マンには会いましたし、編集やってる現場も見せてもらって、あと郵政省に詳しい政治畑の人に会って事情を聞いたり。第1稿を書き上げて、ツメの作業をする段階で現場の取材をやった感じですね

 

 13年間テレビの仕事をやってきて、視聴者と僕は真剣に対峙してきたつもりなんですね。それについてのいろいろな思いが込められてますね。一部の批評家に内部告発小説と言われたんですけど、実はそういうことではなくて、僕が告発する相手としたら、テレビ人じゃなくてむしろ視聴者かもしれない。今の視聴者って湯水のごとく与えられる情報を盲目的に信じちゃって、選ぼうとしない。そういう姿が一番問題じゃないかと思っている。この小説のヒロインのような主観的真実で作り上げるテレビ人の姿って僕はあるべきだと思っています。テレビは写った時点から真実とはかけはなれてるんだから、映像の作り手がある強烈な意思を持って作っていかなきゃいけないし、そうじゃないと視聴者の心を動かすことは出来ないと思う。問題は動かされる視聴者の側が、あまりにも映像を信じ過ぎている。もっと対峙してほしいという思いがあるんですよね。それは僕がテレビの視聴者に対して、もっといいドラマを選んでほしいという…要するに自分のドラマを選んでほしいということなんですけど(笑)。数字に裏付けされてこないとか、視聴者が見たがっているドラマと僕が見せたがっているドラマのズレみたいなことを、この2、3年感じてたんですよね。だから、そういう思いが込められた小説じゃないですか 

 正直な気持ちを言うと、『青い鳥』が僕にとってテレビドラマの最後の仕事になってもいいぐらいの気持ちがあるんですね。こういう集大成の仕事で最後になったほうがいいかもしれないと(笑)。今年中に書くNHKの連続もの、来年の連ドラの予定もありますけど。それより乱歩賞を取ったあとの第1作が一番大事。1月、2月までに書いて、夏前までに出版して、映画の企画としても成立させるみたいなことを考えています。映像の世界は僕の武器だと思っているんで、連動することをやってみたいなと(取材日:1997年9月24日)

 以上、「ドラマ」1997年11月号より引用。

 

 文中で触れられている野沢脚本 × 鶴橋康夫演出の『愛の世界』(1990)、『東京ららばい』(1991)は素晴らしい秀作である。また次の機会に触れてみたい。