私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

寺田農 × 油谷岩夫 トークショー レポート・『実相寺昭雄見聞録』(3)

【仕事でのエピソード (2)】

寺田「私がどうして実相寺とこれだけ長くやったかというとね、私は文句を言わない(一同笑)。「はいはいはい」と。息を止めろと言われれば止めるし、前へ来いと言われたら前へ行く。

 ところが役者って私みたいなのばかりじゃなくて、むしろ珍しいんだから。主演クラスなんて女優なんかか特にそうだけど、うるさいのばっかり。ジッソーはそういうの嫌うからね。実相寺の映画はすべて自分のためだから。『悪徳の栄え』(1989)は主演が清水綋治で石橋蓮司もいて、私もちょっと出てる。清水綋治は真面目な人で私がアダルトビデオを撮ったときも主役をやってくれて、いい人なんだけど理屈っぽいんですよ。いろんなことを考えるんだね。監督と話し合おうよと。石橋蓮司も巻き込んで、一度話をしたいと。おれは絶対やめたほうがいいと言ったのに。石橋蓮司もああ見えて真面目なんですよ。ロケ現場に行って食事休憩のときに、また清水綋治はわけの判らない「マルキ・ド・サドにおける××は」とか言い出して(一同笑)。ジッソーは私を責めて「来る前にあなたが止めなきゃダメでしょう」と(笑)。ただ『悪徳』は、実相寺がやりたかった企画だろうけどね。

 『姑獲鳥の夏』(2005)はやりたくなかったんだろうな。ただオファーが来て、予算もあるし」

 市川崑清水崇天野喜孝などが監督したオムニバス映画『ユメ十夜』(2006)では、実相寺監督は自分の担当分の脚本に久世光彦を指名。

 

寺田「『ユメ十夜』(2006)のときは久世ちゃんは実相寺の現場に来て、ずっと4時間ぐらいいたね。『ユメ十夜』は(実相寺・久世の)第一夜だけ面白い。市川崑さんのなんて全然面白くない(一同笑)」

【実相寺とアダルト作品】

 実相寺監督は『アリエッタ』(1989)などアダルト作品も手がけている。ミステリー仕立ての『ラ・ヴァルス』(1990)には寺田氏も出演。

 

寺田「『ラ・ヴァルス』は本来は火曜サスペンスの企画だったんですね。それがホンをつくるぐらいでプロデューサーが局内の人事異動で、企画が通らなくなっちゃって。それでアダルトを撮らないかという話があって、何とかしてアダルトでできないかと。実相寺はアダルトを随分撮ってますが、ぼくは『ラ・ヴァルス』がいちばん好きだし、実相寺も気合いが入ってたんじゃないかと思いますね。実相寺さんは加賀(加賀恵子)さんっていう傑出した女優さんに出会ったから、実相寺がアダルトを撮っていった源ですね。あの人がいなかったらのめり込まなかっただろうけど。

 『ラ・ヴァルス』が縁で、中川(中川徳章)さんっていう九鬼の社長から「次回は是非、寺田さんが撮りませんか」ってことでぼくも撮ったんですけど(『マイ・ブルー・ヘヴン わたし調教されました』〈1992〉)。ただ『ラ・ヴァルス』は実相寺作品としては面白いけど、レンタルビデオ屋で若者が間違って借りたら、大変済まないと。あんなの借りてどうする?(笑) ぼくが撮ったときは美術は池谷(池谷仙克)がやってくれて、音楽は実相寺で主演が清水紘治で、いまは考えられないけど予算が3000万も。ぼくがやってほしい女優がいたんだけど、その人のギャラは2日間で700万と言われた。それでも社長は700万なら回収できるからいいって言ったんだけど、間に入った事務所がオーケーしなかったのかな。違う人になったけど、バブルではあったんですね。『ラ・ヴァルス』を借りて散々な目に遭った人に謝罪する意味もあって、明かりはギラギラに当てて判りやすいものをと。そしたらその年のAVのベストヒットでいちばん売れたんですよ。会社からは喜ばれて「何であれが」と実相寺は悔しがった(一同笑)。でもああいうのが売れるのよ」

【妻・原知佐子

寺田原知佐子ちゃんは結婚する前から知ってたし、結婚したときも意外ではなかった。監督と女優さんが結婚すると、女優さんが尊敬してる場合が多いんだけど、原さんは結婚して生活するうちにこりゃダメだと思ったんだろうな(一同笑)。この人は違う人なんだと。それで放し飼いに。夫として、みたいなことは求めなかった。よく3人で食事に行ったけど、夫婦って感じはしなかったね。実相寺はちゃんとお嬢さんがいるのに、何故かぬいぐるみを好きになったりね(一同笑)。ちな坊とかぬいぐるみがうちに何匹もいて。

 実相寺は原さんを女優さんとしては見てないのかな。原さんは芝居をよくやってたけど、実相寺は見に行くこともなかった。何やってるか興味もなかった。面白い夫婦ではあったね。ふたりで酒飲んでるときがいちばんよかった。原さんはお酒が強い方で随分飲んでたけど、それが原因かどうか亡くなったね」