渋谷で開催された特集上映 “実相寺昭雄の光と闇” では、実相寺夫人の原知佐子氏のトークがあった。原氏は映画『その場所に女ありて』(1962)、山口百恵主演のテレビ『赤い疑惑』(1975)や『赤い衝撃』(1976)などで知られ、最近は『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』(2015)、『シン・ゴジラ』(2016)にも出演。山田太一脚本『岸辺のアルバム』(1977)の友人役も印象に残る。
実相寺作品では映画『あさき夢みし』(1974)、『D坂の殺人事件』(1998)、テレビ『風』(1967)、『波の盆』(1983)などに登場し、『ウルトラマンティガ』(1997)では悪の宇宙人を演じた。樋口尚文『実相寺昭雄 才気の伽藍』(アルファベータブックス)では原氏が実相寺の支えとなったことが触れられている。
この日は、原氏と実相寺が出会った『おかあさん/さらばルイジアナ』(1963)の上映後にトークがあった。聞き手は映像ディレクターの油谷岩夫氏、樋口尚文氏が務める(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
樋口「きのうは空いてましたが、きょうは原さんの神通力で」
原「あ、そう?(一同笑)」
樋口「このひとつ前のトークは池田(池田秀一)さんで。さっきは赤い彗星で今度は赤い衝撃。……あ、もっと笑ってほしいんですが(一同笑)」
【『おかあさん』(1)】
樋口氏によると、実相寺は本人に会う前から早稲田大学の映研の友人に「原知佐子はいい」と話していたという。
原「『女子大学生 私は勝負する』(1959)ってのに出てたから、それじゃないかしら。東京映画ですね。
東宝辞めた後、須川(須川栄三)さんがホン書いてくださって、TBSで撮ってたんです。須川さんに実相寺が出てくれって言ってるけどって相談したんですね。須川さんは「(実相寺は)おれが書いたホンを、全くおれが考えていないように撮ったから。面白いから出なよ」っておっしゃったんです。じゃあ出ようかって出たのが「さらばルイジアナ」です」
その須川脚本 × 実相寺演出の『おかあさん/鏡の中の鏡』(1963)も、今回見ることができた。
原「そのころのテレビって面白かったですよ。松竹にヌーヴェル・ヴァーグがあって、東宝にいて松竹いいな。テレビも面白そう、出たいなって思ってたんですよ。東宝の砧の専属で、テレビは出ちゃいけないって。それで辞めてしまって、バカですね。テレビ出たかったんですよ」
油谷「辞めなければ実相寺さんと出会わなかったですね。運命ですよ」
原「そうですね、しょうがないですね(一同笑)。
大山勝美さんが演出でドラマ撮ってたんですよ。そこにひょろっと薄ぎたないのが入ってきて「今度やります実相寺です」って。へえと思って、顔知らなかったから」
油谷「テレビの演出家を人が記憶する時代じゃなかったですよね」
読み切り形式のドラマ『おかあさん』の一挿話「さらばルイジアナ」は、神学生(川津祐介)と女性(原知佐子)とを描いて鮮烈な印象を与える傑作(田村孟脚本)。半分は生放送で、部分的にフィルム(事前撮影)もあった。石坂浩二、柳生博、吉沢京夫など個性的な面々が脇を固めている。
原「生でしたからね、衣装替えもありましたし。フィルムもありましたけど、フィルムじゃない時間もある。(フィルム部分には)石坂くんも出て。(リアルタイムでは)見てないですね、見てられないですよ。フィルムが入って、あと何秒したらスタジオ来ますってなって、落ち着いてられなかったでしたね」
油谷「VTRにパッケージして放送したドラマもあれば、部分的にブロックを撮っておいてしかるべきところで再生して、生も入るドラマもありました」
本作について実相寺監督のエッセイ『夜ごとの円盤』(大和書房)にて「主演の川津祐介さんが精神昂揚の極に、科白をすっかり忘れてしまったと言い出してうろたえた覚えがある。鎮静剤の注射をうって、何とか生放送は無事だった」とある。
原「川津さんが「ぼく何でここにいるの」ってことになったんですよ、みんなびっくりしちゃって。生がもうすぐ入るのにって、大騒ぎになったんですけど。「何してんの、ぼく」って。でも何とか落ち着いて本番できましたけどね。台詞とんだなんてもんじゃなくて「何でぼくここに」と。怖かったですね(一同笑)。生できるかしらと思いました」(つづく)