
テレビから映画化されて大ヒットした『踊る大捜査線』シリーズ。脚本を手がけたのが君塚良一で、その君塚に『うちの子にかぎって…』(1984)などで知られる伴一彦が影響を与えたのではないかと筆者は想像している。
1980年代初頭に大学を卒業した君塚良一は萩本欽一の事務所に入り、バラエティ番組に携わった。その時代に『パパはニュースキャスター』(1987)や『魔夏少女』(1987)といった作品で注目を集めていたのが伴一彦である。
バラエティに関わる当時からドラマ志望だった君塚は、当然さまざまな作品をチェックしていたようで早坂暁脚本『夢千代日記』(1981)や倉本聰の『うちのホンカン』シリーズ、小松君郎の『でんでん太鼓』(1972)を印象深い作品として挙げており、また初めて連続ドラマを単独で執筆した際(『ずっとあなたが好きだった』〈1992〉)には坂元裕二『東京ラブストーリー』(1991)をレンタルして参考にしたという。君塚が伴の影響を語っていた記憶は筆者にはないけれども、しかし君塚が初めて田村正和と組んだ『さよなら、小津先生』(2001)は熟年になって初めて社会科教諭となった田村と軽薄な同僚(ユースケ・サンタマリア)との友情が描かれ、伴一彦脚本 × 田村主演『うちの子にかぎって…』を彷彿とさせた。『うちの子』は小学校で教える田村の横に、児童に笑われる三枚目教諭の所ジョージが設定されている。『うちの子』は80年代らしくけたたましいコメディ路線であり、対照的に『小津先生』はシリアスタッチで、盗作では無論ない。だが君塚は同じ田村主演の学園ドラマを制作するにあたり、人物配置を意識的に模倣したか、あるいは不可抗的に逃れられなかったのではあるまいか(この類似は、筆者だけでなく他の誰かもネットで指摘していた記憶がある)。
その『小津先生』の前後に君塚が発表したのは『ヘルプ!』(1995)と『役者魂!』(2006)である。『ヘルプ!』は主人公の女子大生(観月ありさ)が小学生の姉弟(大村彩子、森廉)を押しつけられ、秘宝をめぐる争いに巻き込まれる異色作で、君塚自身も特に思い入れのある作品だと回想する(『踊る大捜査線THE MOVIE2 シナリオ・ガイドブック』〈キネマ旬報社〉)。『役者魂!』は大物俳優(藤田まこと)の前にやはり小学生の姉弟(川島海荷、吉川史樹)が現れて実子だと主張。この2本の導入部は、硬派のキャスター(田村)の家に娘を自称する小学生の女の子たちが現れて振り回す、伴脚本の『パパはニュースキャスター』を想起させた。
『ヘルプ!』『小津先生』『役者魂!』は商業的に成功を収めたわけでもなく、君塚の代表作として広く知られるのは先述の『ずっとあなたが好きだった』と『踊る大捜査線』シリーズであろう。テレビの連続ドラマだった『踊る大捜査線』(1997)は主人公の刑事(織田裕二)がコンピュータシステムの会社を退職して警察官になったゆえにその方面の知識があるという設定で(作中で主人公は警視庁本部のシステムに侵入していた)、当時としては先進的なオフィシャルサイトもつくられた。連続ドラマ放送時にサイトがなかったころは「盛り上がっていた」ニフティサーブの「ドラマ会議室」に本広克行監督が自ら書き込み、亀山千広プロデューサーは会社でBBSをプリントして「ニフティもwebも、君塚さんはじめ関係者はみんな読んでますよ」と証言。そして亀山によれば、翌年に映画になった「原動力は、ぼくらが出した企画書でもテレビの視聴率でもない。インターネットのプリントアウトといただいたハガキです」(『踊るインターネット』〈キネマ旬報社〉)ということで、作品が成長し浸透するプロセスにおいてもネットが重要な役割を果たしている。しかし意外なことに、大ヒットした『踊る大捜査線 THE MOVIE』(1998)では危険な殺人マニアたちがネットに集い、猟奇殺人者(小泉今日子)を崇めるさまが無気味に描かれたのだった。(つづく)


