私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

浦沢義雄 トークショー レポート・『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』『コント55号 なんでそうなるの』『カリキュラマシーン』『ロボット8ちゃん』(1)

 『ペットントン』(1983)や『どきんちょ!ネムリン』(1984)といったシュールなコメディードラマやアニメ『忍たま乱太郎』(1993)などの脚本で知られる巨匠・浦沢義雄。

 2024年2月に「おれはスポットを浴びたくない」と語る浦沢先生のトークイベントが下北沢で行われた(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 

【バラエティ番組の時代】 

 10代終わりの浦沢先生は『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』(1969)を手がける事務所にアルバイトで出入りしていた。

 

浦沢「『ゲバゲバ90分』っていうのがあって、そこの原稿運びをしてたんだ。事務所に『ゲバゲバ』のホンが積んであるんだよ。暇だから一応全部読んで、全部つまんないと思った(一同笑)。これなら簡単だと。物語書くわけじゃなくてギャグだから原稿用紙に1枚か2枚なんだよ。バカでも何でも書ける。河野洋さんっていう偉い人が、おれのを「こっちのほうが面白いよ」って。その日から作家に」

 

 浦沢先生が強い影響を受けた先輩作家は喰始氏。線路に女が縛られていて人に踏まれるというギャグに、強い印象を受けたという。

 

浦沢「喰始さんがつくったギャグで日本でいちばんすごいギャグだと思った。『ゲバゲバ』でそういうギャグがあったんだ。それに感動して、こういうんだったらおれ考えてもいいやって、作家になったんです。いままでで面白いと思ったのはこれだけだよ。テレビでオンエアしたのも傑作で、SLがボーッと来て、女の人が縛られてる。無名のエキストラみたいな人だけど。陽炎の向こうから人が来て踏んづける。それ以後、面白いの1個もないんだけど(一同笑)。

 放送作家になっていちばん最初の仕事が『コント55号 なんでそうなるの』(1973)。55号のコントを書いてた。1回人気が出て、その人気がなくなったころ。結構、愉しかったね。二郎(坂上二郎)さんも萩本(萩本欽一)さんに何にも言わない。萩本さんが全部考えるんだけど、思いつくまでずっと待ってる。おれたちも後ろのほうで、萩本さんが思いつくのをずっと待ってる。3時間ぐらい。ものってこうやってつくるんだと。萩本さんは腕組んでこうやって考えて。萩本さんは人間的にはすごくいい人。二郎さんは遊びたいんだけど我慢してて、萩本さんは仕事ひと筋。いい人だけど迷惑(一同笑)。会議が終わるじゃない? 終わってみんなを送って、淋しいらしくて振り返ってなんか話し出す。そっからまた2時間、延々話す(一同笑)」

 強い思い入れのあるのは、当時の子どもたちにトラウマ?を与えた『カリキュラマシーン』(1974)。

 

浦沢「台本で書いたのは…いちばん最初のキャスティングは桜田淳子。桜田淳子のつもりでやってた。2年目になって森昌子になってて、おれたちは変わったって全然知らないんだ。森昌子が出てきて、ちょっとがっかりしたんだ(一同笑)」

 

 アニメーションは木下蓮三が担当した。

 

浦沢「(アニメを)こういう感じにしたのは木下さん。その当時(人気だったのは)アンディ・ウォーホルとか。木下さんとやるのはすごく愉しかった。ギャグのアニメをやってたのは木下さんだけだったね。他の人のはつまんない。木下さんと喰始さんが国際アニメのグランプリを取ったんだよ( 「MADE IN JAPAN」〈1972〉)。それがすごくくやしくて生まれて初めてジェラシーを感じた、喰さんに(笑)。お祝いの試写かなんかがあって行って、大して面白くないんだけど(笑)、全然違う作品で子犬がただ吠えるだけのアニメをいっしょにやってて、それが傑作で。カナダのかな。ずっとやりたいやりたいと思って、人間が吠えるだけの作品(笑)」

 チャーハンとシューマイが結婚式を挙げて、指輪でなくグリンピースを交換する。約10年後に同じ趣向が『ペットントン』の第30話「横浜チャーハン物語」にも出てくる。

 

浦沢「『カリキュラマシーン』でやったのが23歳ぐらいのとき。『ペットントン』でやったのが30ぐらいかな。映画もやりたいなと。1個のねたで3つやれればいいな(笑)。『カリキュラマシーン』はおれのイメージと違って人の手で(グリンピース交換を)やってる。おれのイメージだとグリンピースが飛んで交差するんだけど、できなかったんだろうな」

 

 『ペットントン』ではグリンピースが飛んで交換している。

 

【不思議コメディーシリーズについて (1)】

 『ロボット8ちゃん』(1981)から『ペットントン』(1983)、『有言実行三姉妹シュシュトリアン』(1993)まで東映制作の不思議コメディーシリーズを執筆。原作には石ノ森章太郎(石森章太郎)がクレジットされている。

 

浦沢「石森さんは何にもやってないよ(一同笑)。テーマは石森さんの仮面ライダーとかと全然違うことをやりましょうと。最初はすごく(関係各所の)抵抗があったんだよ。『ロボット8ちゃん』では石森プロの要望は『がんばれ!!ロボコン』(1974)みたいな感じでと。おれは『ロボコン』も見てないからどうでもいいんだけど、フジテレビの前田和也が「ああいうのは絶対厭ですから」って石ノ森さんに言うんだよ。同じになっちゃうのは厭だって。だけどバンダイはおもちゃの会社だから、工場があるから『ロボコン』と同じようなのをつくらないと商売になんない。新しいキャラクターだと、工場で形(雛形)からつくらなきゃいけないから。読広(読売広告社)の木村京太郎が普通ならスポンサーのバンダイの味方するんだけど、バンダイを黙らせた(笑)。他のアニメーションとかでバンダイを儲けさせたから、バンダイも木村京太郎の言うことは聞く。バンダイにお金だけ出して何も言わないでくれって。他で儲けたからいいじゃないかと。東映の人も石森さんのに飽きてんだよ、同じようなことをやるのは(一同笑)。石森プロは同じことをやりたがるんだけど。石森さんは何も言わない」(つづく