【実景を入れる構成 (2)】
尾形「この作品(『病院で死ぬということ』〈1993〉)のプロデューサーは里中哲夫さんという、のちに『大阪物語』(1999)もやる方なんですが、撮影初日にカメラを回してフィルムがワンロール消えちゃったって。近代映画協会はお金のないところなんでフィルムのひとコマは血の一滴だと。フィルムをすごくけちる会社なのに、市川(市川準)さんはあっという間にワンロール使っちゃって、最初はとにかく信じられないっていう。天地がひっくり返るような驚きだったって里中さんは書いていらっしゃいましたけど、従来の映画のつくり方とは全く違ってたんですね」
【岸部氏にとっての市川監督】
犬童「岸部さんはこの時点で映画に既にいっぱい出ていらっしゃいましたけど、市川さんとで不安になることはなかったですか」
岸部「ないですけど。小栗(小栗康平)さんだと緊張して、何を言われてるか判らないとかあったんですけど(『死の棘』〈1990〉)市川準さんだといっしょに横並びになってる感じがしたんですね。向こう側に監督がいるんでなくて、横にいて話かけたりできそうなね。しんどさは一切なかったです。どっかで好みなのかな。CMも愉しかったし、『東京日常劇場』も愉しみでしたからね。『病院で死ぬということ』も深刻な映画なんですけど、撮影しているときに充実感はありました」
犬童「岸部さんはバンドもやられていましたけど、いっしょにセッションをしている感覚というか」
岸部「それはあるかもしれないですね。監督は何を考えているんだろうとかこれでいいのかなとかOKしたけど本当はどうだろうとか、そういうのが市川準さんのときは何にもなかったです。好みの方向を尊敬していたのかな」
犬童「目指す方向がずれてない」
岸部「芝居ができる俳優さんを好む監督と芝居は見せないでって監督とがいるとすると、芝居の技術を見せてって言われると何もないんで(笑)。何もないと自分で思ってるんで、そうじゃない監督を好むっていうのがどっかにあるんですけどね。市川準さんは芝居をもっと見せてよっていうのがないので、いつもニコニコ笑ってたり。そういうのが自分に合うなあと」
犬童「OKが出るまで何テイクぐらい撮ってたんですか」
岸部「何テイクもできないんですよ。例えば塩野谷(塩野谷正幸)さんがぼくといっしょにふるさとのことを喋っている場面で、彼は突然本当の話をしてるんですよ。リハーサルで1回やると、それはもう話せなくなるんで。幸せ論、どういうときに幸せを感じるかみたいなことを監督がぼそっと言ったりして、あとはそれぞれで話してということでいきなり本番。アドリブを愉しむということともちょっと違う」
犬童「ほしいものは市川さんの中にあるんでしょうね」
岸部「「こういう感じでやってください」とか。OKのときも「OK!」じゃないですからね。OKなのかどうなのかも判らなくて、ただふわーっと笑ってて終わるとか(笑)。
演じてる感じがだんだんなくなってくる気もしますね。普通だと立ってて動かなきゃいけないかなとか余分なことを考えるんですけど、立ってるときは立ってるだけでいいんだと。そしてすーっとこっち行けばいいんだと。自然にそうなったと言えると思います。監督がそうしていったんですね」
犬童「監督はぼそっと言うときも、ちゃんと狙ってぼそっと言ってたんですかね。このタイミングでぼそっと言えばこうなるとか。市川さんは既にベテランで場数を踏んできてますからね。計算ができてたのかもしれないですね」
岸部「計算してたんでしょうね。これに近いような映画はないですからね」
犬童「監督は何でこの医者の役をご自分に言ってきたと思いますか」
岸部「判らなかったですね。芝居の玄人と素人とで分けると、素人側に籍を置いてるところがあるんで(笑)。この映画を撮ったとき、ぼくまだそんなにやってないんで。それでCMでもああいう撮り方をしたり、そういうのがどっかにあったかもしれません」
犬童「岸部さんは市川準さんを体現してるというか」
岸部「背格好が似てる」
犬童「背格好もそうですけど、市川準さんのやろうとしていたことをいちばん体現しているところが」
岸部「あの医者役は市川さんが立っていてもおかしくなかった感じもしますね。あそこでぼそっと喋って演出しててもおかしくない(笑)。きょう見て、自分が出てることは別として、いやあこれは名作だなと思ったですよ。ぼくまだ40ちょっとで出られてよかったな、よく市川さんがぼくを選んでくれたなと思いましたね。そのときよりいまのほうがそう思います」