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援交から仮面へ・時代と切り結ぶ庵野秀明の道筋

 テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)、映画『シン・ゴジラ』(2016)などによって不動の地位を確保している庵野秀明監督は、天賦の表現力を駆使して世態を描いてきた。

 かつて幸福の科学の広告塔として知られた作家の追悼記事に「時代の喧噪とともに生きた人だった」という気障なフレーズがあり、何だそれはと思った記憶があるけれども、実は庵野こそが「時代の喧噪とともに生きる人」ではなかろうか。

 『エヴァンゲリオン』のブームが湧き起こり、映画『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』(1997)が公開された時期、庵野は圧倒的にカリスマ視されていた。

 

映画を見終えた素人エヴァ・ファンのマナブ君(22歳)は、

「今、死んだら、庵野さんは本当に神様になっちゃいますね……」

 と呟いた。

 だが、「庵野さんはカリスマにならずに苦しみ続けるほうを選ぶでしょう。そして、夏に公開される“ジ・エンド・オブ・エヴァンゲリオン”で、この伝説に自ら幕引きをするはずです」と強調するのは竹熊(引用者註:竹熊健太郎氏。」(「週刊プレイボーイ」1997年4月8日号)

 

 サポーターの自己陶酔に辟易する部分もあるが、庵野私小説的なメッセージを込める作家だとも言及された。

 

庵野監督は、ある種の決意、悪く言えば開き直りをした。再び竹熊氏に代弁していただくと、

「今の自分には〈オリジナル〉なものなんて作れない!

 でも、こうして悩んでいる俺という存在だけは、この世でたったひとつのオリジナルなものじゃないだろうか! ならば、頭を抱えている俺のこのブザマな姿を客に見せつけてやるしかない! カッコ悪いけど、チンポコまでさらけ出すしかない!」」(同上)

 

 「週刊プレイボーイ」の記事では庵野が自らを「さらけ出」して「最も誠実」な作品(『エヴァ』)を送り出したことで「日本の閉塞状況」に合致して「奇跡を起こした」のだと論じられる。

 記事の約3か月後に公開された完結編『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Airまごころを、君に』(1997)は登場人物の精神世界が悪夢的に描かれ、主人公がヒロインから「気持ち悪い」と拒絶されて終わる。その『まごころを、君に』からほぼ間を置かずに庵野は実写映画『ラブ&ポップ』(1998)を撮った。原作は女子高生の援助交際を描いた同名の小説(幻冬舎文庫)で、この題材が自意識や精神世界を描くSFアニメ監督に選ばれたのは極めて意外に感じられた。ドキュメンタリー映画『由美香』(1997)に影響されたと語っていたのに加えてアイドルグループをドキュメンタリータッチで追うオーディション番組『ASAYAN』(1995〜2002)のブームも意識したのか、デジカメによるドキュメンタルな映像が変なアングルで撮られ、浮かれはしゃぐ学生映画のようなありさまの『ラブ&ポップ』は『エヴァ』の制作に疲弊した庵野が鬱から躁に転じて自由に撮ったのかと想像される。けれども女子高生が男たちとの邂逅を経て成長、さもなければ変貌を遂げるストーリーはやはり「自分と他人」(「この映画がすごい! ’99 Vol.2」)を描いた、庵野の私映画として受け取られた節があった。

 だが『ラブ&ポップ』の原作は村上龍で、その点に庵野の志向性が実は潜んでいたようにも思われる。多様な作品を発表している村上は、特に90年代以降は労働問題や北朝鮮情勢、ウイルスといった社会面のニュースに絡んだようなジャーナリスティックな小説作品を発表。よく言えば嗅覚が鋭い、つまりは節操なく時流を追って「ワイドショー的」「おっちょこちょいパワー」などと揶揄されつつ(斎藤美奈子『文壇アイドル論』〈文春文庫〉)存在感を示してきた。援助交際に村上が刮目したのも90年代の女子高生ブームによるところが大で、その村上原作を選ぶ庵野も同様に時流を志向していると言えまいか。

 21世紀の庵野秀明は『キューティーハニー』(2004)や旧作をリブートした『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズなどを経て『シン・ゴジラ』(2016)を大ヒットさせる。庵野ゴジラを撮るとの報に、公開前には『エヴァ』終盤のような私的な精神世界が描かれるのでは…と予想された。だがまたしても意外なことに『シン・ゴジラ』は前半に東日本大震災を再現するかのような災害が、後半に核攻撃の恐怖が扱われるポリティカルドラマタッチの娯楽作に仕上がっていた。山根貞男は天災と人災を「混同」していると非難したが(「キネマ旬報」2016年10月下旬号)当時の日本を震撼させた対象を「混同」して1本にまとめあげてしまった超絶技こそがヒットの要因とも言えよう。

 

スクラップ・アンド・ビルドでこの国はのし上がってきた。今度も立ち直れる

 

 官僚と政治家の尽力によって危機を乗り越えた果ての台詞には、震災直後の興奮状態が落ち着いて復興へと向かう2010年代半ばの世相が濃厚に投影されている。さらに数年を経て庵野が実質的に共同監督を務めた『シン・ウルトラマン』(2022)では災害や戦闘だけでなくミニマムな人間関係がクールかつまったりと描かれ、マチズモが後退して自由さとリラックス感が漂う。制作・撮影はコロナ禍の前だったはずだけれども、庵野は息苦しさの横溢する時代をどこかで予見して転換を図ったのではないだろうか。

 かつて90年代に庵野秀明がスピリチュアルな “私小説作家” として時代に適合したのは「奇跡」などでなく、世相を社会的な広がりで掴むことに長けた天才作家が世紀末の「閉塞状況」におそらくは(無意識に?)迎合していたに過ぎない。ロボットと精神世界、女子高生の援交、変身バトルヒロイン、怪獣災害のポリティカルドラマなどある意味では村上龍以上に多彩な切り口で「時代の喧噪」を捉えてみせた才能が、公開まで24時間を切った新作『シン・仮面ライダー』(2023)ではいかなる境地に達するのであろうか。

 

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