私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

『結婚 陣内・原田御両家篇』(1993)の浦沢義雄脚本と鈴木清順演出とを比較する(5)

71)シナリオでは華子の死は直接的には描かれない。

 

県道

 事故現場。

 雪の中を取材陣と中継スタッフが来た。

 横転した自動車のドアを叩き、

記者「花村さん! 花村さん!」

 ドアが開いた。

 華子が血塗れで失神していた。

 取材陣が一斉にカメラのフラッシュを焚いた。

 中継スタッフもカメラを回した。

 その音に、

血塗れの華子「(目覚め)!」

 カメラの視線を感じポーズした。

 グロテスクに美しい。

 

 シナリオでの華子は負傷しつつも「カメラの視線を感じポーズ」しているが、映画では三味線を持って車の上にすっくと立つ。タラコ口でにやりと笑い、がくんと動かなくなる。

 

72)華子の死以後、映画はシナリオと大幅に異なる。

 

旧家・前

 尚也と舞が出て行こうとした。

 義川夫妻追って来て、

義川「約束だ。仲人は俺たちがする」

尚也・舞「……」

 雪の中で義川が謡曲高砂」を朗々と謡った。

 尚也と舞が深々と頭を下げた。

 雪が降る。

 

 映画ではこのくだりがテレビの画面になる。義川の妻が「死んだはずだよ、華さん」と驚く。義川は「幽霊といっしょになるのも酔狂な話だ。でも約束は約束だから、仲人は俺がやる」(シナリオではただ約束だから仲人をつづけるという意味に過ぎないが、映画では意味が異なってくる)。尚也と舞は頭を下げる。その画面にノイズが入る。義川の運転する耕運機がリアカーを引っ張り、そのリアカーに尚也と舞が。

 耕運機とリアカーは冒頭のステージに来る。雪はステージにも降る。ステージをはじめここまでの部屋などはすべてワンセットで、その全体像が映る。

 

73)尚也の実家は「千葉の田舎の豆腐屋」だった。シナリオでは「金屏風の前」だが、映画では豆腐屋の店先で尚也と舞が両親に挨拶。

 

74)ラストシーンは田舎の道。

 

田舎道

 尚也と舞が来る。

 尚也が歌う。

舞「あら、今日は私のお誕生日、忘れてたワ。覚えていてくれたのね、うれしい」

 尚也、ハート型豆腐の入った金魚鉢を渡す。

舞「披露宴は盛大にやりましょう、あなたも有名人になったんだから……婚約発表したあの場所で、私もテレビに映るんだワ。有名人夫人、素敵」

 と、金魚鉢を尚也にかえし踊るように田舎道を行く。

舞「豆腐屋の嬶それから起き上がり!」

 尚也金魚鉢を見、舞の方に、

尚也「タラコ口になっちまうぞ、舞!!」

 空が青い。

 

 尚也が歌うのは「ハッピーバスデートゥーユー」。舞の「豆腐屋の嬶それから起き上がり!」の台詞は、映画ではカットされている。舞がこれから尚也を支配するという宣言かもしれない。

【感想】

 奇作ではあるけれども、鈴木清順の監督作としては前後の『カポネ大いに泣く』(1985)や『夢二』(1991)、『ピストルオペラ』(2001)などに比して見やすいコメディに仕上がっている。クランク・インは1992年の9月末(「シネ・フロント」1993年4月号)で、脚本の浦沢義雄は異色のミュージカルドラマ『うたう!大龍宮城』(1992)を平行して執筆していた時期であった。本作で登場人物がやたらと唄うのは『大龍宮城』が同時進行だった影響では…と思ったのだが、シナリオ上には意外にも歌の指定はあまりなく誰の発案なのか不明。

 可憐な女性に惹かれた男性がやがてその女性の正体を知り加虐されるというのは、過去の浦沢作品にもあった。結局は別の女性とくっつくわけだが、その彼女のラストシーンの言動を見ているとまた男性側が振り回されそうで、その皮肉なまなざしは面白い。

 浦沢の多忙ゆえか、本作のモチーフは他の浦沢作品の再利用が目立つのだが、地味に衝撃的なのは後半のUFOキャッチャーならぬ位牌キャッチャー。浦沢脚本は過去に死体を「生ごみ」扱いしたり幽霊をコミカルに登場させたりしており、この当時流行っていたUFOキャッチャーを使ったねたは、死にまつわるギャグのある種の決定版?のようにも思えた。シナリオで「諸仏」が位牌をキャッチしている光景は華子の死を暗示しているとも解釈できるけれども、映画ではそれにとどまらず華子が死んだことを直截に描いている。

 華子が死んで、舞と結婚する尚也に対して義川は「幽霊といっしょになるのも酔狂な話だ」とシナリオにない台詞を口にする。『ツィゴイネルワイゼン』(1980)と『陽炎座』(1981)を経た清順監督の、生と死を往還する幽玄味が感じられた。『陽炎座』の美術・池谷仙克が、本作の複数の部屋がつながったセットも手がけている。

 後半では披露宴中継のためにテレビクルーが集結しているがそのディレクターは愚鈍で、菅原社長とつかみ合う。シナリオには指定がないけれども婚礼がテレビの画面に映り、やがてノイズが入り途切れてしまう(重要な、もしくは崇高な場面を映すのにテレビ画面は不適格だという意か?)。清順監督の『悲愁物語』(1977)ではテレビによって愚かな大衆が扇動されて虐殺事件が起き、テレビ画面が燃え上がるシーンで終わるが、本作でもテレビメディアに対する侮蔑がシナリオ以上に強調されているように映る。

 筆者は浦沢義雄ファンであり、この作品は鈴木清順でなく、かつて浦沢と組んで傑作をものした佐伯孚治坂本太郎、大井利夫、村山新治などが撮れば浦沢らしさがもっと横溢していただろうというのが偽らざる本音である。しかし終盤の、死に憑かれた味わいは清順ならではで、彼の後期フィルモグラフィーに『ツィゴイネルワイゼン』のような代表作とはまた異なる独特な刻印が浦沢脚本によって押されたとも言えよう。