私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

浦沢義雄 発言(インタビュー)録(3)

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 月刊誌「アニメージュ」には、詳細なロングインタビューが載った。脚本家デビューのころについても語られた貴重な内容である(聞き手は小黒祐一郎氏)。 

 

——ずっと前から浦沢さんって、どんな人なんだろうって気になっていました。『新ルパン』の時からのファンなんです。

 

浦沢 僕のデビュー作ですよ。

 

——ええ。「カジノ島・逆転また逆転」ですよね。それ以前の事から、お伺いしたいんですけども。そもそも、脚本家を志していたんですか?

浦沢 いえ、脚本をやる前は『カリキュラマシーン』のギャグを考えてたんです。『ゲバゲバ』や『カリキュラマシーン』のギャグを作る事務所があったんですよ。最初はそこの原稿運びをしていた。

 

——高校を出て、そこの会社に。

 

浦沢 いや、その前にゴーゴーダンサーをやっているんです。

 

——ゴーゴーダンサー?

 

浦沢 そうそう。

 

——(笑)。ちょっとすみません…その、ゴーゴーダンサーって、職業なんですか?

 

浦沢 いえいえ。職業というか…ダンサーをしていれば、タダで、そういう場所に遊びに行けるじゃないですか。それでやっていたみたいな。

 

——今で言うと、ディスコクイーンみたいなものですかね。

 

浦沢 まあ、そうですね。踊りながら、お客さんを接待したりするの。

 

——ゴーゴーを踊りながら、「イエーイ」とか言って、飲み物とかを出すわけですか?

 

浦沢 いや、もっとくら~い感じでやってたけど。

 

——場所は、ゴーゴー喫茶ってやつですか?

 

浦沢 そう、ゴーゴー喫茶。まだ、ディスコができる前だから。今から30年くらい前ですよね。60年代の終わり。

 

——そのゴーゴーダンサーを何年ぐらいやっているんですか?

 

浦沢 1年半ぐらいじゃないの。一緒に働いてた人達が、オカマになってくんだよ。それが、気持ち悪くてさ(笑)。

 

——なんでオカマに?

 

浦沢 食えなくなって、新宿2丁目みたいなところに行っちゃうんだよ。

 

——なるほど。ゴーゴーダンサーを辞めて、そのテレビ番組を作る会社に行くんですね。なんていう会社なんですか?

 

浦沢 ペンタゴン

 

——凄い名前ですね。

 

浦沢 結構、有名だったんですよ。河野洋さんという方が作った会社で、錚々たるメンバーがいたんですよ。

 

——そこで台本運びのアルバイトから入って。

 

浦沢 その時は脚本を書くつもりは全然なかったんですよ。

 

——その業界の印象はどうでした?

 

浦沢 いい事務所でしたよ。給料は安いんだけど、移動は全部タクシーを使ってね。

 

——へぇ~、バブリーですね。

 

浦沢 タクシー代をもらってタクシーを使わないで済ますと、1日に千円ぐらいになっちゃう…それで生活できる、みたいな(笑)。凄く楽でいいなぁと思った。

 

——なるほど。

 

浦沢 そこでバイトをやりながら、まだ、ゴーゴーをやっていたような気がする。お店に「来てくれ」って言われて。ホステスと同じだから、お客さんに「あの人、居ないんですか?」って言われると、行かなきゃなんない。

 

——人気者だったんですね。

 

浦沢 お客がついてたの、僕に。

 

——お客は、男の人なんですか?

 

浦沢 女の人が多かった。オバさん達みたいな。男の人もいたよ。

 

——ペンタゴンでバイトを、どのくらいやっていらしたんですか?

 

浦沢 1年半ぐらい。そこで、河野さんに「ここで何をするか、ハッキリした方がいい」って言われたんです。タレントになるのか(笑)、マネージャーになるのか、作家になるのか。で、「作家になります」って言ってたら、次の日から作家ですよ。

 

——次の日から。いきなり『ゲバゲバ90分』の構成作家

 

浦沢 『ゲバゲバ』は書いてないと思う。『コント55号のなんでそうなるの』だったかな。『カリキュラマシーン』だったかな。どっちが先かは覚えてないけど。

 

——前後して『カリキュラ』『なんでそうなるの』が放送されて、その両方に参加してるわけですね。

 

浦沢 そう。『カリキュラマシーン』に、一番下っ端で参加して。

 

——『カリキュラ』は、やってて楽しかったですか?

 

浦沢 楽しかったですよ。今までで一番楽しかった。

 

——具体的には?

 

浦沢 あれね、15分番組なんですよ。1人でその15分を責任を持ってやるんです。その中にはアニメもあるし、好きに色んな事を書いていいんですよ。

 

——『カリキュラ』で思い出深い事は、あります?

 

浦沢 ありますよ、そりゃ。今、僕がやってる事は全部『カリキュラマシーン』でやった事だと思うもの。

 

——はあはあ。

 

浦沢 それ以降、『カリキュラマシーン』以上の思いつきはしていないはずだし。『カリキュラマシーン』で思いついた事を、小出しにして使っているような気がする。二十歳ぐらいの時です。あの頃は自分で天才だと思ってた。

 

——(笑)。

 

浦沢 一日中、ずーっとひとつの短いギャグを考えてるんですよ。それだけやってればいい、みたいな。凄く楽しかった。

 

——具体的にこんなギャグをやったとかって、あります?

 

浦沢 覚えてるけど、それはあんまり言いたくない(笑)。なんか言葉で言うと、つまんなく聞こえる。

 

——あ、なるほど(笑)。と言うくらい、自信作なんですね『カリキュラ』は。

 

浦沢 参加していた構成作家の中でも、俺が一番面白かったと思うもん。他の人は、その前の『ゲバゲバ』をやってきて、続けて『カリキュラマシーン』をやっていたから、ちょっと疲れていたんです。つづく) 

 

 以上、「アニメージュ」2001年3月号より引用。