「一夜にして局面がひっくり返るのは永田町における暗闘政治の常である。間違いは間違いで素直に認めて、即時撤回をすればいい。小沢一郎にはもともと強い権力志向があり、自民党が民主党案を丸呑みしてくれるのならば、政策実現のチャンス到来ではないかという考え方があったのだろう。しかし、決定的に間違っていたのは、参議院議員選挙で与野党逆転という選挙結果を出してくれた有権者に対して、まったく配慮していなかったことだ。まして、政権交代の可能性が目前に来ているのに、である。密室での党首会談にしても、これは紛れもない「ボス交」であり、海千山千の永田町で生き延びてきた自民党政治家たちの、権力さえ維持できればなんでもやるという旧態依然のやり口に乗せられただけではないのか」(岡留安則『TVウワサの真相』〈七つ森書館〉)
この稿は、自民党の福田康夫首相(当時)が民主党の小沢一郎に大連立構想を持ちかけたという2007年のニュースを受けて書かれた。この時点での岡留安則はまだ小沢を注視しつつ辛口に評するという慎重さを崩していない。しかし2009年に政権交代を果たした後で、自身のブログで小沢を絶賛するようになっていたのだった。
「偏差値エリートをいくら寄せ集めても政権交代は実現できなかったはずだ。ところが、政権をとった途端、邪魔者は消せといわんばかりの党内抗争を仕掛けて小沢一郎派を一掃したのだから、やり方が稚拙すぎる。消費税アップに反対し、政権交代時点のマニフェストを実現することこそが有権者の期待に答える途だと断言する小沢一郎の方が、政治センスも数段上手である」(「岡留安則の「東京 沖縄 アジア」幻視行日記」2010年7月16日)
「菅直人前総理は、脱原発への関わりすらも放棄して四国八十八寺周りを始めた。そんな暇があったら、原発被災者や沖縄県民へのお詫び行脚でもやるべきだ。自民党時代と変わらず、高額の旅費を使った政治家の海外ラッシュも始まっている。その予算枠は6億円近いという。復興財源云々が口先だけという証明ではないか。官が官なら、政治家も政治家だ。こうした旧悪を改革できる最後のエースは剛腕・小沢一郎しかいないのではないか。そのためには何が何でも無罪を勝ち取ることが大前提だ」(同上 2011年10月6日)
ちなみに岡留安則と本多勝一は90年代後半までは盟友関係であったけれども、やがて対立し互いを非難し合うようになる。その両者がともに小沢一郎を讃嘆していたのは奇異に感じられるが、それだけではない。かつて「噂の真相」1999年5月号のスクープによって東京地検検事長の座を追われた則定衛が、この時期に小沢の弁護士を務めていた。つまり岡留と則定という仇敵同士が小沢という磁場に参集していたわけで情況の変転には驚愕してしまう。
岡留・本多と直接に関係ないところでは、作家の小林信彦が連載コラムで小沢を頻繁に擁護していた。
「いちばん気になるのは検察と大マスコミによる小沢一郎叩きである。いや、小沢・鳩山(引用者註:鳩山由紀夫)叩きである。二人の〈政治と金の問題〉を連日のように大マスコミにリークして、新聞に書かせ、テレビの愚にもつかないニュースショウに報道させる。ぼくは呆れて、〈大新聞〉を断ってしまい、テレビも観ないのだが、世の中には騙される人が多い」(『伸びる女優、消える女優』〈文春文庫〉)
岡留や小林の眼には、マニフェストを転換し変節していく民主党内で小沢が当初の志を棄てずに孤軍奮闘している、というように映っていたらしい。彼らには反自民という点を除けば理念の一致のないままに数の論理で政権を握ろうとする小沢の政治手法が民主党の挫折を招いた一因ではないか、という視座が欠如している。傍観者のように書いているが、当時の筆者も岡留のブログや小林の連載コラムを読んでいるうちに影響されて、小沢を瓦解していく民主党の良心であるかのように何となく錯覚していたのだった。
民主党を出た小沢一郎は未来の党を率いるも2012年12月の衆院選で大敗した。小林信彦も岡留安則も以後、小沢の話題は黙殺するようになる。あの傾倒ぶりは何だったのかと筆者は困惑し、苦笑を禁じ得なかった。
小林や本多勝一のような政治音痴と言われても仕方のないタイプはともかく、長年スキャンダル雑誌を運営して権力に対峙し、修羅場をくぐってきたはずの岡留までが小沢に心酔していた。「どこにも属さない」と豪語する岡留をも踊らせた集団心理には驚くが、自民党の単独支配下を生きてきた彼らにとって政権交代はかくも我を忘れるほどの慶事だったのだろうか。
小沢は2004年に「次の総選挙が政治生命の総決算だ」と述べていたけれども、さらに歳月は流れて年齢的に彼の「政治生命」が終わりに近いのは間違いない。いまだ政権交代を目指していると豪語する小沢の姿を目にする度に小沢に乗せられたリベラル陣営と、彼らに乗せられた自分とが思い出され、自己嫌悪的なはずかしさと憂鬱さが頭をもたげるのだった。