私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

蓮實重彦 トークショー “ハリウッド映画史講義” レポート・『夜の人々』(3)

f:id:namerukarada:20190425232357j:plain

 キングブラザースは全く知られていない。合衆国でも1冊の研究書もないわけです。この中に多少の野心をお持ちの方がおられたら、カリフォルニア大学に行かれて、キングブラザースについて書くと言ったら、その指導教授はがたがたと膝をふるわせてお前さんやめとけと言うと思いますが、書いてしまうと第一の書物になると思いますから、心意気さえある方がおられたらキングブラザースについて英語の本を書いていただきたい。

 私の夢はキングブラザース・レトロスペクティブで、ニューヨーク映画祭か何かでやっていただきたい。キングブラザースについて日本から発信しようではありませんか。時間的余裕があれば、調べに合衆国にさえ行きたいとかつては思っておりました。

 3人目の優れた制作者のドーリー・シャーリーは脚本家出身のプロデューサーで、RKOに招かれました。映画が今後それほど発展する産業とは思えない、どうすればいいかということで。新人監督、新人俳優を使えば安いので、それでRKOに新しい気を吹き込みました。日本語のウィキペディアにはいまだにドア・シャリーとなっていますが、正しくはドーリー・シャーリーであると私の『ハリウッド映画史講義』(ちくま文庫)に書かれていますので、ウィキペディアも書き換えていただきたいと思います。脚本家上がりですから、どのように書けば作品が収まるかよく知っている人でした。RKO周辺にいたニコラス・レイが、ドーリー・シャーリーの理解によって『夜の人々』(1948)という作品になることが可能だったわけでございます。最近も竹峰(竹峰義和)さんという方がアドルノについての本を書かれて、ドーリー・シャーリーについて優れた註がありましたが、ウィキペディアはそのようなていたらくです。新人に撮らせようとした人で、エドワード・ドミトリクの『十字砲火』(1947)、『夜の人々』、ジョセフ・ロージーの『緑色の髪の少年』(1950)などがそれに当たります。私は『ハリウッド映画史講義』の中で、RKOヌーヴェルヴァーグという言葉を使ってしまったほど、ドーリー・シャーリーは優れた制作者でした。インターネットデータベースで、『夜の人々』ではドーリー・シャーリーがuncreditedと書いてあるんですね。ただ映画ではドーリー・シャーリーがpresentationとはっきり出ていますから、訂正していただければと思います。 

 きょう鞄を持ってまいりました。もしこの『夜の人々』の中でこのような鞄が出てきたら、不吉なサインだと思っていただければと思います。ファーリー・グレンジャーは背広を着てこれを持って、職業的必要もないのにこのような鞄を持ってくる。もう少し大きいですが、『悪の力』(1948)でも鞄が出てくるとこんがらがってくる。どきりとして画面を見つめていただければいい。

 1950年代の作家たちは人間たちを対等のものとして扱っておりません。ふたりが面と向かって語るということは少なく、そこに傾斜を入れております。男と女が初めて出会ったとき、傾斜がある。男性が下にいて女性を見上げるように撮る。その傾斜性は『夜の人々』の冒頭のヘリコプター撮影にありますし、同じニコラス・レイの『危険な場所で』(1951)の雪の高原での追っかけとか。『大砂塵』(1954)の丘の上の小屋を挟んだ撃ち合い、今回上映されるアンソニー・マンの作品でも傾斜が重要だと判ってくる筋立てになっている。

 きょうも私が鞄を開くと、そこから不吉な何かが出てまいります。これを開いて…サイン本をみなさまに贈呈することを許していただけますでしょうか(一同笑)。(鞄を開けて)最近出た『伯爵夫人』(新潮文庫)、『ハリウッド映画史講義』、『物語批判序説』(講談社文芸文庫)というものです。

(本を競ってじゃんけんが行われる)

 この鞄が出てきたら、悲しいことが起こるとお考えください。以上で私の話を終わらせていただきます(拍手)。 

 

【関連記事】蓮實重彦 トークショー “ハリウッド映画史講義” レポート・『拳銃魔』(1)