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丸山昇一 トークショー(猪俣勝人特集)レポート・『殺されたスチュワーデス 白か黒か』(2)

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【『白か黒か』(2)】

 猪俣(猪俣勝人)さんがいちばん言ってたのが、公開後に電車とかでカトリックの方たちに会ったりすると許さない!という。その人たちは関係ないんだけど。中身が透けて見えて、聖職の中身って何なんだと。エスタブリッシュメント、政治だったら政府に、戦争だったら軍部に抗う。1回疑ってみる。大したものだったらそう描けばいい。精神的姿勢をちゃんとしろ、スタイルは後からついてくると。

 戦前に松竹大船に入られて売れっ子になったけど、監督が脚本をばらばらにしたり制作側が意図を汲んでなかったり。それで売れてたのに31歳で松竹を辞めちゃう。ぼくは31歳でやっとデビューしたんだですけど(笑)。骨のある人でしたね。

 『白か黒か』(1959)は全然回収できなくて大変な目に遭って、公開されて1週間ぐらいで打ち切りになって、バッシングも受けて。猪俣が変なことをやりたがるって映画業界で言われて。それでもやるときはやるっていうのを実践された。後年のATGに結びつくところがあると思います。

【猪俣勝人の人間像】

 私も大学のときに出会って、社会と対峙しなきゃだめだ、いろいろと調べて脚本にぶち込めと言われました。私もスタートは社会派なんですよ。売れなくて日和ってしまいましたけど(笑)。

 猪俣さんは日本大学の映画学科の講師で、ぼくはお弟子さんの大竹(大竹徹)さんに教えを乞うていて、そろそろ猪俣さんのところに行けって言われて4年でゼミに入りました。名前はもちろん知ってて、作品も名画座で見てたと思いますけど。大竹さんによると厳しい人だから、お前は甘やかすととことん甘える奴だから、鍛えてもらえってことでお会いしました。最初から最後までほとんど笑わない。柔和な顔ってときどきあるんですけど、その後の普通の顔がもう怖い。メリハリがある。誉めないです。とにかく書こうってことで、当時は30分ドラマというのがキー局であって、そういう60枚のシナリオを毎週書いてくる。2週目からは前の週に書いたのの直しもして、つまり週に2本ずつを13週、ワンクール。10人以上のゼミでしたけど、2週目からはぼくひとりですよ。そんなことやる奴はまずいない(一同笑)。日大のストが解除されたころで、ふたりっきりでやりましたけど、大学の外にあるとうほうパーラーっていう素敵なところでごちそうしてくれるんですよ。すごいパフェで、先生はコーヒー。バイトのお金も食費で消えちゃうんで、そのパフェが食べたくて、不純な動機で毎週行って(笑)。13週が終わって、学年の後半になって脚色を1本とオリジナルの作品を1本書くんですけど、脚色は松本清張さんの『昭和史発掘』(文春文庫)っていう政治の暗闇とかの10巻くらいのルポルタージュのうちの1巻をセレクトして書く。四日市の公害問題を新聞で読んで、現地に調査に行く金はありませんので、できる限り図書館で調べてやったり。社会派というのは社会に潜んでいるような悪、権威に秘匿されている悪にぶつかっていく。それを通して人間を描くっていう。そうやってエネルギーのあるフィルムをつくるという、洗脳に近い。軽そうな話を書いても「ふん」(一同笑)。こういうのは普段思っていることでシナリオにする必要はないと。

「あるだろう、きみは青年だから社会や人間に対していろいろ。怒ってることがあるだろう?」

「いやあ、あんまり怒ってないですけど。毎日暮らすのが大変で」(一同笑)

 もっと言えば書くのが大変で社会にどうのこうのは…なんて言ったら大変です。だから「あります」と。もっと娯楽というか、男の子と女の子とが知り合って、なんていうのを書いてみたいなんて言える雰囲気じゃない。

 リアルにしろ、よく調査しろと。最初のころの講義のときに、男性が女性にふられて酒飲みに行くとして、昔で言えば女給さんのいるキャバクラみたいなところでやけ酒を飲む。いまそういう人はあまりいませんけど。そのときにいくら金を持っているかというのを、キャラクターをつくっていく際に忘れるな、大概の脚本家は勢いで書いちゃうけど、この店を無事に出られるかみたいに考えてると人物が膨らむ。勢いでつくっていかないでリアルなところを押さえると。いまだに、もう50年経ちましたけど忘れないし、書くときは根本に置きますね。ぼくも映画大学で教えてるんで、同じことを言うんですが、時代が違うんで「やけ酒って何ですか」(笑)。

 猪俣さんはリアリティーにものすごくこだわってて『青色革命』(1953)なんて明るい作品ですけどよく見ていただくとかなりリアルで、普段の生活はこうしてるんだなっていうのが垣間見える。市川崑さんが当時のモダンな感覚で撮ってて、でも押さえるところは押さえてる。猪俣脚本ならではですね。(つづく