私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

対談 山田太一 × 宗雪雅幸 “日本人が失ってきたもの。これから培っていくべきもの”(1992)(6)

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山田 差別問題みたいなことでも、周辺の人を自分は差別してないと思えば、自分は差別感を乗り越えていると大体の人は思いますね。例えば周りに在日韓国人の方がいるとか、かなりうるさいおばさんで差別したいけど我慢しているとか、自分としてはそこで何となく公平に平等というものを手に入れていると思っていたって、もっと立ち入って結婚であるとか、難民の方を家に泊めなきゃいけないという状況が来たならば、自分のヒューマニズムなんてすぐ吹っ飛んじゃうかもしれない。不平等の権化かも分からないわけです。

 そういう現実からの問いかけが直接ないものだから、何となく自分たちは浅薄に生きているのではないかという意識が日本人の中の底流にあるんじゃないか。自分たちはお人好しなんじゃないかとか、いいことをしているつもりだけど、それは一人よがりなのではないか。僕はその浅薄感みたいなものは非常に大事だと思うんです。そういう浅薄感がなくなって開き直りだしたら、本当に現実からずれちゃうという気がするんです。

 世界がどういうものであるとか、世間がどういうものであるとか、自分がどういうものかというのを知るのは、大体自分のマイナス体験か、自分の欠点というものに触発されたときです。以前、若い方としゃべっていて、「自分の長所であるとか、プラス体験では自分を知ることはなかなか難しい」という話をしたことがあるのですが、そうしたら高校生たちは「自分たちはそんなにマイナス体験がない」と言うのです。親とはぶつからない、親もまあまあ物分かりがいい、お金もまあまあある、成績もまあまあいい、ボーイフレンドがいるとか、そんなに容貌で思い詰めてない。せいぜいニキビが出過ぎているぐらいのことで、人に自慢できるような不幸な体験がない。そういう人はどうしたらいいんでしょうと言われたんです。自分を知るきっかけがないじゃないかと。

 でも、そういう高校生にも浅薄感はあるんですよ。物凄く苦労している人たちは、自分たちよりずっといろいろなことを知っているだろうという気はあるんです。しかし、望んで苦労を手に入れることはできませんから、「何か俺たちは本当の現実の厳しさと隔てられたところで生きているのではないか。だから、本当に厳しい現実が来たらヤバイぞ」という意識はあるんです。僕は初めは、それを非常に意外なこととして感じたんです。僕はある時期、父を対抗すべき、克服すべき、憎悪すべき存在として感じたことがありますし、貧困でも困ったし、容貌でも苦労したり、もてなかったり、いろいろなことで悩んでいたのに、その高校生たちが大して不幸じゃないというのは何事か、と思ったのです。けれども、ふっと考えると、いやいや我々もあまり変わらないのではないか。戦争直後のことを考えたら、ずっと甘いと言えば甘いところで生きている。それで何となくイランから来られている方とか、フィリピンから働きに来られている方々の、家族から別れて来るという現実について深く想像することができないのではないか。しかしあの人たちは相当すごい体験をしているんだろうな。ある意味では、我々よりずっと大事なものは何かをよく知っているのではないか。それもリアルに。そういうことが我々は分からなくて、非常に通俗的な道徳に引きずられてみたり、安っぽいヒューマニズムを見抜けなかったり、そういうところで生きているのではないか。そういう面では、僕も高校生と同じだと思ったんです。

 

宗雪 確かに我々は豊かになり過ぎて、気付かないところでいろいろなものを失ってきてしまっているのかもしれませんね。

 さて、最後になりましたが、FGひろばの読者でもあります製版・印刷業界の方に向けて何か一言ございましたらお願いしたいのですが。

 

山田 実は偶然なんですけれども、来年やるドラマのために印刷会社さんをちょっと取材させていただこうと思っているんです。かなり先端的なものを取り入れた印刷の世界を見せていただこうかと。まだ記者発表するまでは、詳しく申し上げられないのですが、ちょっと職業を考えておりまして、研究所みたいなところで、いろいろな映像が絡んでくるようなところで、割と地味に暮らしている人間のファンタジーというものを書いてみようと思っているんです。

 

宗雪 いま印刷の世界でもコンピュータでいろいろな画像処理ができますからね。印刷業界と言うと、一般には、昔からの暗いとか、汚いとか、活字でインキまみれになっているとか、そういうイメージがまだまだあるのですが、本当は最先端のエレクトロニクス技術を駆使した業界なんです。

 

山田 僕もそれがとても印象的だったんです。以前、神奈川県の職業訓練所を見学させていただいたときに、印刷の研修の部屋が非常にきれいで驚いたんです。うわー、こんなにきれいなのかと思いました。そういうことも印象に残っていましたので、きっと余り視聴者の方も知らないんじゃないかと思いまして。最終的にまだはっきりはしませんけれども、いまそんな構想を持っているんです。

 

宗雪 製版・印刷業界に明るい光を当ててくださるというのは、非常に嬉しいことですね。ぜひ実現していただけるよう期待しています。

 本日はお忙しいところ本当にありがとうございました。

 

 以上、「FGひろば」Vol.81より引用。ラストで言及されている作品は、山田先生が自らの原作を脚色した『丘の上の向日葵』(1993)のことかと思われる。