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堀川とんこう × 中村克史 × 長谷正人 トークショー “山田太一ドラマの演出” レポート(3)

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【『男たちの旅路/車輪の一歩』(2)】

中村「山田さんとつき合いのあった若者たちが稽古場へも来てくれて、車椅子から降りたらどうするかとか。少女(斉藤とも子)のアパートが階段になってるので、どうするか。匍匐前進みたいにするのを、稽古場で自らやってくれましたね。随分知らない世界を知りながらつくったドラマ。

 台詞の中でもありますけど、親は子に人に迷惑をかけるなと育てる。それが吉岡司令補(鶴田浩二)の口を通して、ぎりぎりの迷惑をかけてもいいというところへ持っていく。山田さんのドラマはたたみかけて次へ次へ。迷惑をかけるのを恐れるな、そして迷惑をかける決心をするという説得力。若いガードマンと中年の司令補、車椅子の青年という関係の中で炸裂する。最後はお母さん(赤木春恵)に説教しちゃう。結婚したこともない、ひとりで暮らしてる司令補が人の家庭に入ってずけずけと(笑)。おっせかいに踏み込むことが、当時は核家族とか言われ始めたころですから反響が大きかったですね」

長谷「本にも書いたんですけど、数年後に高槻に住んでたんですが、国鉄の高い階段の下で車椅子の人と青年が立ってて「誰か手伝ってください」と言ってるです。ご家族の方かなと思ってお手伝いして、ものすごく重かったんですけど、ふたりで持ち上げて行ったら、青年は「それじゃあ」って。ご家族じゃなくて、車椅子の人が誰か見つけて、その人も誰か手伝ってくださいと。山田さんがこのドラマで呼びかけたことですね。近くに身障者の行くところがあって、それでそういうことが何度かあったんですが、ドラマの影響だという気がしましたね」

中村「翌日何かが変わるということはなくても、日ごろの生き方の中に染みこんで、ドラマの影響ではないですが、バリアフリーもできて。フィクションのドラマも間接的に力を持っている。声高に言うんでなくて、ドラマが浸透力を持って変えていく力にもなるんだなと思います」

長谷バリアフリーにして公共施設に行けるようにするという発想は、日本社会にほとんどなかった気がします。ドラマの影響で広がっていった」

中村「車椅子の青年が日常を喋る絵解きのシーンがあるんですが、駅員室へ行って駅員に階段を運んでもらって電車に乗る。脚本にしっかり書いてあって「できればこれも撮りたい」と。駅員が車椅子を載せて、駅員は厭がらず仕事としてやっていると。映像がきっちり書かれているシナリオ。

 そして普通の人のふりをしながら、偏見を持った台詞で真実をさぐっていく。

 この2つが『男たちの旅路』(1976〜1982)の基本で、気持ちよく撮っていきました」

堀川「この話はリアルタイムで見てました。マイノリティーが勇気を持って声を上げろというメッセージを感じましたね。バリアになるものを取り除いてあげたいというのでなくて。政治的なもの、同性愛も含めていろんなマイノリティーが声を上げるべきだというふうに感じました」

長谷「普遍的なものだということですね」  

【『時は立ちどまらない』】

 堀川氏は、東日本大震災を扱った『時は立ちどまらない』(2014)と『五年目のひとり』(2016)の2本を撮った。『時は』は、無事だった一家(中井貴一樋口可南子黒木メイサ吉行和子)と長男や家を喪った一家(柳葉敏郎神木隆之介橋爪功)とを描いている。7人が橋の上で話し合うシーンは苦心したという。

 

堀川「震災直後から絆って言葉が覆っていて、叫ぶほど嘘っぽくなる面もあった。本当の絆って何だと言ってる部分があるドラマで、喧嘩売ってるところもある。

 被害に遭わなかった中井貴一さん一家、娘の婚約者は死んじゃってますけど、津波の被害はなかった一家のいらだち。被害に遭った人のそばにいる人の苦しみが描かれてます。その内容を離れて言うとね、あのシーンは7人出てくる。あれだけの長い立ち話はあり得ます? 困っちゃって、車座で喋る? ホンには橋の上とは書いてない。公園か川の堤だったかな。それで橋にして、細い橋をさがしてもらって。俳優さんはみんないいですよね。

 この後で橋爪さんたちがごちそうを投げたりして暴れるシーンがあって、演出家冥利に尽きる」

長谷「『岸辺のアルバム』(1977)も今回も両方暴れてますね。山田さんのホンの中で、たまってたものが爆発する瞬間に立ち会われた」

堀川「そういえばそうですね。2つの家族が溝を乗り越えて友情に結ばれるジャンピングボード。夕飯をごちそうになって泊めてあげるって家で暴れちゃう。それでつき合いは深まっていく」

長谷「迷惑ってことで「車輪の一歩」にも。迷惑が発生して、そのことを通して違う次元の絆が生まれていきます」

堀川「山田さんがときどきおやりになる、おせっかいをきっかけに人物の関係が一歩前進するという。俳優と演出家がおせっかいだと気づいてやるか、気づかずやるかで厭味が違ってくる(笑)。『五年目のひとり』では少女(蒔田彩珠)が渡辺謙さんの家を掃除する。少女は迷惑かけられてる側なのに、掃除しに行く。それで関係が新しいところへ一歩踏み出す。そのおせっかいは何なんだってテーマになり得る。山田さんは、私たちは他人にもっとおせっかいでいいんじゃないか、勇気を出しておせっかいをすれば、怖いこともあるかもしれないけど、クールな社会でおせっかいが必要だと考えていらっしゃるのかもしれない」

中村「山田さんの台詞にいつも出てくるのが「判ったふりをして」とか「たかをくくってる」 。こんなもんだと思うときちんとした人間関係はできないんではないか。それを乗り越えるとなるとおせっかい。あれだけ饒舌に台詞を喋る人間は見たことないですけど、あのねちっこさ、しつこさ。山田さんの本質かと思うし。俗に言うちゃぶ台返しみたいところありますよね、1本の中で。それまで追っかけてきたものをひっくり返して、違う確度から見ていく。おせっかいとちゃぶ台返し山田太一(一同笑)。(本人が)いなくなったので言いますが」

長谷「ありがとうございます(笑)」

 

 終了後に、堀川・中村両氏が連れ立って帰っていかれるのを見かけた。