私の中の見えない炎

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品田冬樹 × 長谷川圭一 × 仁科貴 トークショー レポート・『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(3)

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【特撮のエピソード (2)】

 『ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001)の前半では箱根・大桶谷にてバラゴンとゴジラが戦う。

 

仁科「ちらっと特撮現場を見に行った覚えがあります。バラゴンがいじめられてるところ。女性が(のスーツアクターが)入られてましたね。ゴジラは大きかったです。

 拘置所のシーンをスタジオで撮ってて、このとき同じ所内で特撮を平行してやってて、そのとき見に行きました」

品田「バラゴン戦は20日くらい。いちばん長くかかりました。最初は大桶谷でゴジラより大きい崖がある。大きいゴジラより大きい山をつくって。オファーしたの私ですが、制作がオファーするもので、ぼくがやってしまい怒られました。制作の頭越しに自分で電話してしまって。

 ゴジラにはできるだけ大きい人に入ってもらって。(スーツアクターの)吉田(吉田瑞穂)さんは、入ってないときに筋トレして重さ負けしないように。それくらい重かった。

 白目にしたいと言ったのは私で、ビオランテともども…。後で焼魚みたいだとか言われて(一同笑)。目線があると感情移入したくなる。感情移入させたくないので、瞳をなくしてしまうと。富山さん(富山省吾プロデューサー)は身障者の方への配慮を心配されていました。

 金子(金子修介)監督は全編絵コンテを描かれてましたね。でも絵は樋口(樋口真嗣)さんかな。そこに神谷(神谷誠)さんが入って」

長谷川「それぞれの戦いを脚本に書き込んでいて、ギリギリでモスラキングギドラになって、戦いは現場任せに」

品田キングギドラは地下から出てくる。あの時点では飛べなくて、死んだモスラの力を得て飛ぶ。進化したので “キングギドラ” に」

長谷川「護国聖獣だから、キングはダメなので無理矢理に(笑)」

品田「たたんでる羽もつくりました。キングギドラは操演すると動けない。複数の怪獣が放射状にキングギドラを攻撃するのしか撮れない。そもそもキングギドラは攻撃される側で、カモンって(笑)。絵面が決まってしまう。だから今回は、出たら疾走してかみつくと。ファンは怒ってただろうなと」

 

 序盤のタイトルバックは『三大怪獣地球最大の決戦』(1964)のそれを思わせる、怪獣の皮膚のアップ。

 

品田「タイトルバックも大変。あと2日で撮影が終わるとき、オープニングは『三大怪獣』みたいにやりたいと。何をいまさら。バラゴンのチャック開けて撮って、モスラは羽を撮る。キングギドラは氷結シーン用の鱗を壁に貼って撮って、そこに “監督 金子修介” と出ると。簡単に言ってくれる(一同笑)」

仁科「そんな裏話が(笑)。(本編撮影は)6月がいちばん撮ってました」

品田「5、6月から撮って。東京国際映画祭があるんで、ここまでに上げるというデッドラインがあって。ゴジラにはときどき映画祭バージョンがあります」

 

 興行上の理由から『とっとこハム太郎』(2001)と同時上映だった。

 

仁科「試写でなく映画館で見ました。試写は都合が悪かったんじゃないですかね」

長谷川ハム太郎といっしょに見ました。ハム太郎が来てました、着ぐるみで。試写かな」

品田「撮影に取りこぼしがあって、オールアップは遅れて。監督は撮りつづけるって言ってたけど、2日徹夜しないと撮りきれない量があって。スタジオ借りてやり直し。モスラが2回タワーに留まる予定が1回に。使われなかったミニチュアもあって、三池(三池敏夫)さんがリアカーに載せてました。撮影の関係でモスラ戦が短くなって。『ゴジラvsビオランテ』(1989)に近い状態。あのころはクライマックスから撮ってて『ゴジラvsスペースゴジラ』(1994)のモゲラとかぼろぼろで、中1日で直して初登場のシーンを撮るとか。でも『ゴジラ2000ミレニアム』(1999)からは順撮りでしたね」 

【その他の発言】

品田「(若き日に)デザイナー学院に通って、下宿の近くにウレタンを買うところがあって、ガチャピンとかをつくった会社。それを買って独学で。ウルトラマンのマスクは粘土だって知らなくて、木をのみで削ってつくったり。21のときレインボー(レインボー造型企画)に入って『宇宙刑事ギャバン』(1982)や「仮面ライダーZX」(雑誌連載)をやって。嬉しかったですけど、プレッシャーですね。ちっちゃい会社によく頼むなと。

 (『大怪獣総攻撃』のころ)テレビ番組もウルトラマン仮面ライダー、戦隊以外にもいろいろあって。『魔弾戦記リュウケンドー』(2006)とか。いまはウルトラ、ライダー、戦隊と手堅く冒険しない時代。ぼくが生きてる間は(冒険は)もうないかな。円谷プロウルトラ怪獣つくってますけど、無駄が許されない。このころは大らかな時代でしたね」

長谷川「年々(条件が)入ってくる。『仮面ライダーダブル』(2009)では武器が3つだったのがいまは10ぐらい。やる項目が多い。ロボットも2台が出たりとか。そのフォーマットがライダーでもウルトラでも…」

 

 品田さんはバランがお好きで、1997年に『大怪獣バラン』(1958)のコンプリートサウンドトラックが出たときに嬉しくて、バランのモデルをつくった話などをしておられた。

 

品田「『シン・ゴジラ』(2015)は歩いてるだけで、火炎を吐くのはアニメ。出るシーンも10分以内で、2回戦うとなったら…。ギャレゴジ(『GODZILLA ゴジラ』〈2014〉)は3回戦うけど、画面上は1回戦だけ。それくらい予算がかかる。怪獣を毎週出すなら当分ぬいぐるみかなと。テレビではぬいぐるみはまだ残る。映画でも両天秤にかけたら、まだアナログが勝つと思います。

 『シン・ゴジラ』で変わるかと思いつつ…。『ジュラシック・パーク』(1993)でも急速に変わるかと思いましたけど、それから20年。『キングコング 髑髏島の巨神』(2017)も頑張ってますけど、自由すぎて自在に動きすぎてて。多少不自由さがないと。

 『シン・ゴジラ』もフェティッシュなのはコピー機とか棚とかがひっくり返るシーン。1/4でした。ああいうのはミニチュアのほうがいい」

長谷川「(『シン・ゴジラ』の)新幹線もミニチェアに見えるようにつくってますね」

仁科「『スター・ウォーズ』シリーズでも、いまの爆発は全部同じですよ。CGだとパターン化されて。(アナログは)いい大人がやってて、どうなるか判らないというのが面白い」

 

 お三方とも穏やかな語り口だったが、異色の作品が生み出されるまでには裏側でもさまざまな戦いがあったことを偲ばせた。