【脚色のトラブル (2)】
浅田「トラブルを避けるには十分なミーティングをすることなんですけど、いちばん相談したい相手は脚本家ではなくて、総合的に演出する監督の方です。テーマ性を伝えておきたい。脚本家が同席してくれれば言うことないですが、会わないことが多い。みんなで会うというコミュニケーションが必要ですね」
中島「浅田さんみたいに物わかりがよければ、私たちもハッピーです。浅田先生の小説で「ラブ・レター」を脚本化して(映画『ラブ・レター』〈1998〉)これが浅田先生に申しわけない。森崎東という監督で、おできをつくるできもの監督。現場で思いついたことを増やして、メインが何か判らなくなる。その癖が頻出して、いまお顔を正視できない。一度もこの野郎ってのはないですか」
浅田「娘の嫁入り先に怒鳴り込まない。そして案外、勉強になったりする。この台詞のほうがいいなとか」
中島「ありがたいですね」
浅田「こう来たか、とか。「鉄道員(ぽっぽや)」(『鉄道員(ぽっぽや)』〈集英社文庫〉所収)は50枚、『壬生義士伝』(文春文庫)は1200枚。(映画化されると)両方2時間で、変えるなってのは物理的に無理な相談。削るくらいなら、短篇にオリジナルストーリーを足してほしいというのが本心です。こう書きゃよかったな、とか思います。口には出してないけど。プライドがある。気むずかしいという石川達三さんも後で考えたと思いますよ。小説家は誰にも相談できない。そこへ脚色してくれる人が来る。誉めることはしないけど。
WOWOWで『きんぴか』(2016)をやってて、原作は何十年も前に書いたもので、全部覚えてますけど若書きですから。脚本にしてもらって「あ、こっちがいいな」って。毎週ありました」
杉田「ぼくは倉本(倉本聰)さんとのオリジナルが多いですが、松本清張さんはゆるくて、向田邦子さんが脚色したときは原作を2行ぐらいしか使ってなくて、それに松本清張が役者で出てる。そういうゆるい人もいる。現代の作品を時代劇に置き換えてもOK」
松本清張「駅路」を向田邦子が脚色した秀作『最後の自画像』(1977)のことである。杉田氏はこのシナリオをリメイクしている(『駅路』〈2009〉)。
杉田「一方でこだわる方もいらっしゃって、脚本の段階からああでもない、こうでもないと。(権利者が)死んだ方の息子さんならいいけど、女の方は(親を)神格化していて「うちの父はこんなこと書きません」と。概ね知らん顔するけど。ひとりでひとつの世界をつくる人と、役者とスタッフ60人くらいとでつくるのと違う。みんな監督の言う通りにやってるかというとそうでもなくて、ぼくらが見ても自分が思ってたのと違う(一同笑)。俳優との組み合わせでも違ってくる。出来上がってこういうふうになっちゃったかというのがあって」
内山「小説よりはマンガのほうが、揉めるというかトラブルになることが多いです。売っていくために映像化してくださいと出版社から言われて、実写の俳優さんだとイメージが違いますよ、連ドラだと時間がないのでぎりぎりになりますよって言うんですが、シノプシスができるとこれは違うと。原作の絵とヒロイン役の人とが似てないとか。最初に言ったんですけど。クリエイター同士の戦いになってしまう。浅田さんとやりたいですね(笑)」
浅田「ぼく、そんな善人じゃなくて、つぶした企画はいっぱいあります。ストーリーは変えてもらってもいいけど、テーマを変えられたときは…。例えば、明治時代を新しい時代の幕開けとして書いたけど、脚本では復讐譚になっていた。いちばん最初に考えるのはテーマ、何を表現したいか。それにストーリー、文章がついていく。その逆をやったら、いいものはできない。その核が外れたときはNOです。中島先生の『ラブ・レター』で変わったのは、区役所で2人で婚姻届を出すシーン(が足された)。でも弱者が弱者をいじめる社会というのが書きたかったことで、中島先生はそれを揺るがせにしなかった」
【未映像化の中島脚本 (1)】
平岩弓枝原作『新・御宿かわせみ』(2013)は中島氏が脚色し、時代劇専門チャンネルで放送された。プロデューサーは杉田氏。放送された分が前編で、続編にあたる後編が頓挫した。
中島「杉田さんがプロデューサーで黛(黛りんたろう)さんが監督でしたね」
杉田「私はプロデューサーって名前だけで、関わってないです(一同笑)」
中島「原作者がここまで言うなら止めたほうがいいと(杉田氏が)言ったと聞いておりますが!」
杉田「やっていくうちにちっちゃくなるものとふくらんでいくものがある。ちっちゃくなるなら止めておこうと」(つづく)