大手保険会社・昭和生命の若槻(内野聖陽)は菰田重徳(西村まさ彦)の子どもが死亡した案件について、保険金殺人ではないかと疑念を抱いた。そこで契約解除の専門家(小林薫)を派遣するが、彼も殺されてしまう。若槻は菰田の妻・幸子(大竹しのぶ)に匿名の手紙を送って夫の危険性を警告するも、若槻には魔の手が迫っていた。
「心のない人間」の恐怖を描いた『黒い家』(1999)は、まだサイコパスの概念が知られていない時代に送り出された先駆的なホラー映画。10月に池袋にリバイバル上映が行われ、脚本の大森寿美男、美術の山崎秀満、プロデューサーの三沢和子の各氏のトークショーが行なわれた。聞き手はライムスター宇多丸氏が務める(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りで、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
【シナリオ制作について (1)】
『黒い家』の故・森田芳光監督は今年で生誕70年ということで、さまざまなイベントが行われている。
1999年に森田監督は『39 刑法第三十九条』、『黒い家』と立てつづけにサスペンス映画を発表。大森氏はそれぞれ色合いの異なる2本の脚本を執筆。
大森「『39』は刑法第39条を利用して犯罪する男の話を映画にできないかということで。書いたときは制作されるかどうかも判らず、監督が誰になるのかも判らなくて。第1稿を三沢さんに読んでもらって、まさか森田さんの琴線に触れるとは思いませんでした。ラッキーなことに森田映画に関わるようになりました」
三沢「読んだ瞬間に、これこそ森田がデビュー当時からやりたかった人間ドラマのサスペンスだと。是非やらせていただきたい」
大森「意外でしたね。森田さんの作品をよくつくっている光和インターナショナルの作品でぼくもデビューしててあこがれはあったんですが、森田映画は目指してはいけないものだというか。あれは天才のものだからぼくは全く違う道を行かなければいけないと思っていたんですけど。撮ってもらえるならこんなに嬉しいことはないんですけど、その時点で森田さんの作品歴に『39』のようなものはなくて、あえて言えば近いのは『ときめきに死す』(1984)かな。こっちは『砂の器』(1974)を目指したんだけど『ときめきに死す』みたいになるのかな、どんな注文が来るのかとびくびくしながら打ち合わせに行ったんですけど。でも三沢さんの言うように、森田さんの中にも松本清張みたいなものをやりたいという願望があったみたいで。『砂の器』に近づいて、主人公がいろいろ旅するようなスケールの大きな映画に生まれ変わっていきました」
宇多丸「主人公の香深(鈴木京香)が移動していろいろ捜査するくだりを膨らませたと」
大森「第1稿では低予算でもできるように裁判所と拘置所での場面を重点的に描いてて、ただそこで語られる過去を画に起こしていきたいと。奇抜でなく真っ当なことを言われて、こんなふうに普通の映画もつくる人なんだな(笑)。打ち合わせが進むにつれて「このシーンで撮りたい画を言っていくから、もし物語に矛盾が生じたら矛盾の内容に処理してくれ」と。森田さんも脚本家だから、監督のときと思考回路が違うんだな。客観的な判断から主観的な判断に変わっていく段階があるんだなと実感しました」
宇多丸「脚本をチェックするときは客観的だけど、監督としてはこういう画が撮りたいとか」
大森「台本は土台としてつくっておいて、それをどう料理するかという発想に変わっていく。『家族ゲーム』(1983)でも横一列のテーブルとか家庭教師が船で登場するとかは台本にはないですね。ご自分が脚本を書かれててもそうですし、ぼくとか筒井ともみさんとか他の人が書いた映画では特にそれが顕著かな。次の『黒い家』はさらにそうでした」
『39』は大森氏のオリジナル脚本であるのに対して、『黒い家』は貴志祐介の同名小説(角川ホラー文庫)が原作。
宇多丸「『黒い家』ではまずこの原作をやるという話があったんですか」
大森「この原作を映画にすると森田さんから直接電話があって。『39』の後で脚本家として認められたんだと嬉しい気持ちで、是非やらせてください。森田さんが原作で気になった部分を伝授して、この部分は映画に必ず持ち込みたいとか。第1稿を読んでもらって、そこから森田さんの発想がさらに広がっていく。事務所に原稿を持ってって、森田さんが自分の部屋にこもって読んで、しばらくして蒼ざめた顔で出て来て「ああ、怖かったあ…」と(一同笑)。最高の誉め言葉だと。ふたこと目に「ボーリングの球が飛んできたんだよ」。そんなこと書いてないんですよ」
宇多丸「え、ボーリングは脚本に書いてない!? ボーリングを絡めたらもっと怖いって浮かんだんですかね」(つづく)