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原恵一 × 安藤真裕 トークショー レポート・『クレヨンしんちゃん 暗黒タマタマ大追跡』(1)

 アニメーション映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001)、『河童のクゥと夏休み』(2007)、実写映画『はじまりのみち』(2013)などで知られる原恵一監督。その原監督が初めて長編映画の脚本・監督を務めたのが『クレヨンしんちゃん 暗黒タマタマ大追跡』(1997)である。

 魔神ジャークを復活させる鍵となる “タマ” のひとつを、しんのすけ(声:矢島晶子)の妹のひまわり(声:こおろぎさとみ)が飲み込んでしまった。それがきっかけでしんのすけとひまわり、父のひろし(声:藤原啓治)、母のみさえ(声:ならはしみき)は “タマ” の争奪戦に巻き込まれ、青森から東京までを舞台に冒険を繰りひろげる。

 『暗黒タマタマ大追跡』は後年の原作品に比べて完成度はやや落ちる気はするが、熱意が伝わってくる力作。全編ギャグの連続なのは、原監督の手がけたテレビ『ドラえもん』(1984)や『21エモン』(1991)を彷彿とさせるし、「世界の国からこんにちは」「愛は傷つきやすく」などの挿入歌は『オトナ帝国』の萌芽を感じさせる。

 10月に川崎市で『暗黒タマタマ大追跡』のリバイバル上映があり、原監督と原画を担当した安藤真裕氏のトークショーが行われた。

 安藤真裕氏は、原監督によるしんちゃん映画6本のうち4本の原画を担当。その他に映画『機動警察パトレイバー2 the movie』(1993)、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Airまごころを、君に』(1997)などにアニメーターとして参画。近年は、映画『ストレンヂア 無皇刃譚』(2007)、テレビ『花咲くいろは』(2011)などで監督を務めている。

 

【初期のしんちゃん】

 原恵一監督は、1992年の『クレヨンしんちゃん』のテレビシリーズの開始から参加していた。

 

「(テレビの『しんちゃん』は)半年で終わる予定だった。いまだにやってますけど(笑)。

 毎回数字が上がっていった。あんな経験はないです。その前のぼくの『21エモン』が 7.8%。(原作の)藤子・F・不二雄先生に申しわけなくて。それが『しんちゃん』になって、いちばんいいときで28.8%までいきましたからね。終わるわけもない(笑)」

 

 1993年から映画化され(『クレヨンしんちゃん アクション仮面vsハイグレ魔王』)、原監督は脚本・絵コンテ・演出を担当(監督は本郷みつる氏)。

 安藤真裕氏は映画第2作『クレヨンしんちゃん ブリブリ王国の秘宝』(1994)から関わっているという。

 

安藤「当時はプロダクションI.Gに籍を置いてて(『しんちゃん』のテレビの)何本かに1本はI.Gが(下請け)制作していました。

 絵描きとしては、しんちゃんは描きやすかったです。線の多いキャラは大変ですから」

「アクションシーンとか(『しんちゃん』の制作会社の)シンエイ動画の作品では見たこともないような画になってて、安藤さんってすごくうまい人だなと。『しんちゃん』のおかげで、いいアニメーターさんと出会えましたね。

 (安藤さんは謙虚だが)だいたい打ち合わせに自信満々で来る人は下手です(一同笑)」

安藤「(原監督は)優しそうに訥々と喋る人で、でもたまに鋭いことを言う(笑)」

「『ブリブリ王国』は、『しんちゃん』の中ではいちばんきついスケジュールでした。シナリオを書いている時間もないので(監督の)本郷さんがプロットを書いて、あとは適当に分担してコンテを書く。年内に作打ちができなくて、こんな時期から作画に入って大丈夫かなって」

安藤「そんなスケジュールだから、外部の人間が入りやすかったんですよ」

 

 第3作は時代劇『クレヨンしんちゃん 雲国斎の野望』(1995)。この作品と次の第4作『クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの大冒険』(1996)でも、本郷みつる監督の下で原脚本・絵コンテ・演出、安藤原画という体制がつづいた。

 

「『雲国斎』のときは、時代劇の知識もなくて、黒澤(黒澤明)映画しか見ていなかった。しんちゃんを邪魔に感じてて(一同笑)まだ監督じゃなかったんで、しんちゃん(の部分)を本郷さんがやって、おれは時代劇をやるぞってのめりこみましたね

 『ヘンダーランド』のばば抜きのシーンは、リアル系(の絵)も得意な安藤さんにやってもらおうと。リアルなひろしを描いたらどうなるかなって(笑)」(つづく)