【第7~9巻について (1)】
貼雑年譜の第7~9巻は金子明雄氏が担当。乱歩が巨匠となった時代である。
金子「貼雑年譜の7~9巻を担当しております。1957~1964年のものが貼ってある。ほとんどが新聞や雑誌などのメディアに掲載された記事の切り抜きです。出版物の帯とかパンフレットとかフライヤー、公私に渡るイベントの案内とか。シンポジウムのタイトルに「自筆資料」とあるんですが自筆のものはほぼなくて(笑)コメントは書いてあったりするんですが。(他の巻よりも)近い時期のものを貼っていると言えるとは思います。
切り抜き業に頼んでいるんだ、という記事も貼り込まれています。こういう仕組みで集めていたと判るようになっている。
作家としてはかなりの数の少年物、書き下ろしの『ぺてん師と空気男』(桃源社)があります。他に『日本推理小説体系』(東都書房)の第1回配本が乱歩集(第2巻)、『探偵小説四十年』、桃源社版の全集が次々出版されて、それに関する批評とか写真とかがたくさん貼られています」
金子「編集者としては低迷していた「宝石」のテコ入れとして1957年8月号から直接編集を担当します。「ヒッチコック・マガジン」の創刊にも関わっている。「宝石」は1965年5月に廃刊になってしまいます。
作家団体の組織人としては1963年1月に探偵作家クラブの社団法人化が行われて、乱歩は初代理事長に就任します。日本文芸家協会では言論表現問題の委員を務めています。池袋ロータリークラブ、宇宙旅行協会の会員とか。作品をローマ字で出版するのに協力するとか、エスペラント語に通じていて世界連邦化の組織で乱歩自身も「世界連邦に賛成します」とコメントする記事が載っていたり。劇団テアトル・エコーの後援会長を務めたり、小酒井不木のお孫さんが童謡歌手としてデビューするので支援したり、幅広い社会的活動を行っています。1961年11月に紫綬褒章を受章しています。
しかし1958年の暮れに高血圧症で飲酒を控え、生活面で変化が生じています。1959年からは新年会を控える。この新年会は出席者が多くて半端な会じゃなかったようですね。高血圧で新年会ができなくなったというお知らせも貼られています。1960年10月に蓄膿症の手術を受けて、体調不良の時期がつづいています。そういう概況が貼雑年譜に再現されています。
ひとつ気がつくのはメディアとの関係性です。テレビの放送が拡大して、コンテンツのひとつとしてスリラー。乱歩の作品がテレビやラジオでドラマ化されて、ゲストとして呼ばれて話す。他にミステリー作家としての役割が期待されて、KRテレビの「この謎が私が解く」とかラジオドラマとかで乱歩が解説者を務める。メディア露出がどんどん増えていく形になっています。映画でも「少年探偵団」物が季節ごとにつくられて、1962年には三島由紀夫脚色の『黒蜥蜴』が上演されて、京マチ子主演の大映映画『黒蜥蜴』が同じタイミングで公開されています。1961年の春ぐらいから『黒蜥蜴』の話題が出てきて、第8巻の3分の1くらいは『黒蜥蜴』のことですね」
金子「自分たちで出ようって話も出てきて、テアトル・エコーの関係で文士劇の域を超える形で、プレトリウス博士の扮装をしたり。探偵作家たちが化粧したりして舞台に出ています。劇団未来座の公演にも5日のみの特別出演に乱歩たちの名前があります。劇団象牙座は探偵劇専門の劇団で、『アクロイド事件』の限られた日だけ乱歩がポアロ役。作家が趣味として芝居をやる文士劇はあるんですが、ここまでやるかって感じがありますね。法人化された後の推理作家協会の理事会の記録なんですが、アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』などとあって、つまり彼らが芝居に出るというのは機関決定されているんですね。この後でカラオケに行こうとかゴルフコンペやろうみたいな親睦とは違って、組織として芝居をやろうと決められている。文士劇という既存の枠組みはあるにしても、何故彼らは出たいのか。
読書調査もすごく貼られていて、最初は一般的な読書傾向調査。小中学生に人気があるのは何か、子どもが殺人に興味を持つのはいいことかとか。貸本屋、図書館の利用情況。こういうのが結構な数、貼られてる。乱歩がよく読まれている作品として挙げられているから貼るのは判るんですが、貼る意味合いは何だろう。推理小説ブームを支えているのは女性だという記事もたくさんあるんですね。女性は推理好き、とか。読者に対する興味が強くあって、私の仮説ですけどコンタクト志向というふうに括れるんじゃないか。
創作家は書けば満足という人もいるわけですね。素晴らしい作品が書ければ満足。一方で作品には流通性があって、書いた作品が読者に届いて読まれるっていうプロセスがどう担保されていくか。その流通性の担保のひとつが商品性。商品として人気があるか。乱歩は自分の作品が読者に届いて読者に受けとめられるということに関心がある。読まれるものをつくったときに、初めて成し遂げた感じがする。読者とのつながり、読者がどういう興味を持って、それに自分がどう関わるかということに強い関心があるんじゃないかと思っています」(つづく)