
【パネルトーク (2)】
江戸川乱歩はエッセイも多数遺している。
石川「「一人の芭蕉の問題」というエッセイで、俳諧を松尾芭蕉が革新させたように、ひとりの天才が現れてジャンルが変わっていくんだという話なんですけど。ぼくは、乱歩が自分の後継者と思っていたのは夢野久作じゃないかという気がするんですね。だけど夢野久作は若くして亡くなってしまいます。この後で本当に世代交代が起こるのは松本清張の登場です。清張は乱歩を「見世物小屋」だって否定するわけですね。自分の作品は動機が明確になっていると主張して、乱歩を踏み台にしていく感じがする。その時代を担うエースが代わっていくというその変わり目にあのエッセイがある気がして、読むといつも心が打たれる」
戸川「乱歩の探偵小説に関するエッセイはたくさんありますけど、ほとんど外国作家。ニコラス・ブレイクとかあのへんが乱歩さんにとって新しい作家だと思うんですけど」
尾崎「乱歩は自分について以外の記事も貼っていて、高木彬光の記事も貼っています。推していたのかな」
石川「山田風太郎がエッセイで乱歩にかわいがられたって書いてますね(笑)」
その他、乱歩の人間像が語られた。
平井「(太平洋戦争の)従軍は年齢的に無理だったと思います。昭和9年に40歳になってるんで、よっぽどのことがなければ呼ばれなかっただろうなと。戦争になったら50近いですから足手まといですね。
祖父に怒られたことはないです。ああしろこうしろとかなくて放任主義。誉められたことも記憶にないです。小学校の高学年で英語を習ってて、電話で答え合わせをしてるときに、テレビで西部劇『アニーよ銃をとれ』(1954)をやってまして、それとなく結びついてanyを「アニー」と発音しちゃったら、祖父はもう具合が悪くて電話の近くにいて「それはanyだよ」と言われたことが(一同笑)。
私からするとおじいちゃんで、56歳のときに私は生まれてるんで普通におじいちゃんしてくれてました。1956~57年ぐらいまでは忙しい人で家にほとんどいなかった。何かイベントがないと接する機会はなかったです。家にいるようになるころはもう体調が悪くて元気がなかった。怒られることもなく、平穏に暮らすことができていいおじいちゃんでした。
ジャケットのイニシャルには江戸川って入れてましたね。電話に出るときは「江戸川だけど」と言ってました。仕事関係の電話しかかかってこなかったからかもしれません。つい6〜7年前に壊した豊島公会堂、あれを建てるときに寄付をしてるんですね。そこには平井太郎の名前でした。地元に関しては平井さん、業界に関しては江戸川さん。自分から乱歩と言うことは全くなくて、江戸川で通してました。
昭和30年ぐらいで、ミステリー作家仲間の夫婦で5~6人で京都旅行したのが映像に残ってますが『探偵小説四十年』(光文社文庫)によると費用は映画会社から出たそうです。共同で脚本を書いて、その権利を渡して費用が出たそうです」
平井「竹内雷男さんのポスターが貼雑年譜にありますけど、池袋のボスで豊島新聞をつくった方。当時、社会党は大きな組織を誇っていて、まだ自民党ができていない時代ですから。推薦人の岡田宗司さんは参議院議員で、うちの2軒隣りくらいに住んでいました。その岡田さんの縁で竹内雷男さんを応援せざるを得なかったんじゃないかな。政治的立場とはあまり関係なかったんじゃないかと思います。ただ手元にあるものはみんな貼っておくというのが貼雑年譜の特徴ですから」
尾崎「都議選のポスターはあれだけです」
金子「政治活動につながっている様子はないですね。探偵作家クラブなどの組織は熱心でしたけど。特定の政治的な思想が背景にあるかというと、そうでもない」
最後に平井氏からメッセージ。
平井「祖父が亡くなって60年で、これだけの方が関心を持ってくださっていることに驚いています。二次使用がいまだにつづいていることが大きくて、小説本体は古くさいものもありますし、改変されて流通しているものが多い。
祖父自身はもちろん、著作権を引き継いだ祖母や父も二次使用に寛大でした。三島由紀夫さんの脚色した『黒蜥蜴』(岩波文庫)もストーリーはまるっきり変わっていて、本人もそれを見て「おれのより良かった」って言ってるぐらいで。金子先生の言われたコンタクト志向につながると思うんですけど、受容者が増えることが価値だという視点があるんだと。いまは著作権が切れてノーチェック状態で、トレースして投稿できるサイトでもつくっていただけると新しい研究分野ができるのかなという気もします」


