重い病いを抱える高校生・由希(新谷ゆづみ)は奔放で謎めいた麻希(日髙麻鈴)に魅せられた。由希は麻希をボーカルにして、軽音部の祐介(窪塚愛流)も交えてバンドを結成する。だが3人のあやうい関係は祐介の父(井浦新)なども巻き込み、思いもかけない方向へ転じてしまう。
さくら学院の元メンバーふたりを主演に起用した映画『麻希のいる世界』(2022)は、冬枯れの風景をバックにある種クレージーな人間たちの応酬が激しく描かれる異色作。『月光の囁き』(1999)、『害虫』(2002)などの塩田明彦監督がまた新しいステージに到達したように感じられる。
2月に新宿にて、上映後に塩田監督と評論家の中森明夫氏とのトークがあった(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
中森「最初見終わったときは茫然としましたね。すごいものを見たな。監督と世代が同じで還暦ですけど、すれちゃってどんな手を使ってきてもこういうことだって理解できちゃうんですけど、いささかびっくりしましたね」
塩田「ジャンル映画だと、音楽映画だとか青春映画だとかって思って見ていると思わぬ展開ですけれども、とんでもない女の人に出会った女の人の話だとすると組み立ては一貫してるんですよね」
中森「主演のふたりのファンの方はいいんですかね。応援されてる方はちょっと複雑じゃないですか」
塩田「たしかにそう(一同笑)。つくってるときは、このふたりなら相当なところまで行けるだろうって思い込みがあって。彼女たちの元アイドルって肩書に適度に準じたものをつくるより、ぼくがひとりの監督としてやりたいことをやるという」
【『麻希のいる世界』を語る】
中森「前作の『さよならくちびる』(2019)にこのおふたりが出ていて、塩田監督がインスパイアされての当て書きですよね」
塩田「当て書きですが、本人がこういう人たちですということじゃなくて」
中森「彼女が演じることを前提にしていると」
塩田「当て書きとなると、思わぬ側面を掘り起こすためには、印象とは逆に振るっていうことが多いですね」
中森「彼女たちが前作で小さい役で出ていたのに着目されて、あのふたりにつくらされてしまったところはあるんじゃないですか。見てて、もちろん監督がいい演出をされて、役者としての能力もあると思うんですけど、新谷ゆづみのあの切迫した瞳とかそれ以上の感じがしました」
塩田「相当なポテンシャルを持っていて、極限まで掘り起こさなきゃいけないとは思っていたんですよ。ただ想定以上に彼女たちがよかったのは事実で。新谷さんの情熱的で一途なまなざしを撮っていこうと思っていたんですが、最後のほうで新(井浦新)さんとスマホで文字を書いて話すシーンでは新谷さんの目は半分向こうの世界に行っちゃってる。かすかに残っていた光がなくて、現場で驚いたんですよ。ここまでやる人だったんだと」
中森「いい意味でのやばさを感じましたね。途中までは何だこれ?ってところがあるんですよ。新谷の病気は何だとか。途中からそういうことじゃない、整合性じゃなくて別のことが映ってるんじゃないか」
塩田「病気の背景設定はなくはないんですが、病名は言わなくてもいいっていうか。ストレスが命取りになる病気はいくらでもあって、寛解していると普通の人にしか見えない。必要な情報はそのことだけで、病名を出しても説明にしかならないですね。ストレスは危険な人が気にせずに突っ走っていくということが大事」
中森「描いてない部分が面白いというか、あの小屋の中はどうなってんだろうとか思いますよね。あ、映さないのか。監督としてもパンデミック下の情況が、この作品には…?」
塩田「ふたりのキャラクターから考えて、日高さんの演じる側がめちゃくちゃな性格で、新谷さん演じる側はめげないという組み立てはあって。ただ暗黒感がエスカレートしていったのは、パンデミックの影響があったんだろうな。他の企画はすっ飛んで、未来がゼロの無職状態で書いてたので。
ぼくは、麻希はファム・ファタールのニュータイプとして考えたんですよ。運命の女は忘れられない記憶と面影を人に刻みつけて去ってっちゃうんだけども、彼女は自分が記憶を失って、失ってもなおまだ同じことをやってるらしい。妖怪のように徹底したファム・ファタール。それに対抗するくらい一途な思いをゆきに持たせようと思ったら、こういう激しい話になっていった」
中森「日髙麻鈴が『嘆きの天使』(1930)のマレーネ・ディートリッヒみたいに、男が落っこってしまいそうな存在感を出してますね」(つづく)